ロシア経済危機とクリミアの話(1)

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事の起こりはクリミアから

「面目つぶれたプーチン政権 ロシアが苦しむダブル減」
ロシア国家統計局が1月、2018年のロシア人の実質所得が17年より0・2%減り、5年連続の減少となった-と発表したことが同国に衝撃を与えている。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190213-00000503-san-eurp

外国の事ですから実感はありませんでしたが、ロシア社会は相当弱っているようです。こうなった始まりが、強引と批判されるロシアによるクリミア併合にある事は言うまでもありません。併合の反応として行われた経済制裁が、徐々にロシアの首を絞めているわけです。

そのクリミアが誰のものか、という見方には3つあります。1つは国際法上統治していたウクライナ、1つは原住民たるタタール人、そしてロシアです。そのロシアの肩を持つわけではありませんが、この中で最も根拠が薄いのはウクライナだと私は思っています。

いや、むしろ今までウクライナ領だったことが、不思議なくらいです。

近代クリミア小史


近代以降クリミアは、ロシアとオスマン帝国(トルコ)の争奪の地でした。ロシアが攻め込みトルコが守る。事の始まりはイワン雷帝の遠征で、トルコが頑強に反撃し、以後10回前後の露土戦争(いわゆるクリミア戦争を含む)が火を噴きました。

つまり近代列強だったロシアにとってさえ、クリミア獲得は簡単ではありませんでした。

日本ではあまり強調されませんが、昔からトルコは強い、めちゃくちゃ強いです。それはオスマン帝国の時代だけではありません。ドイツ以外の列強全部に攻め込まれ、滅亡寸前まで行った後、不死鳥のようにただ1国で、敵を打ち負かしてきた国なのです。

さてロシアが血みどろになって獲得したクリミアを、ウクライナが得たのは下らない理由からです。ソ連時代、フルシチョフがロシアからの贈り物として、故郷のウクライナにやってしまいました。もちろん実質的な意味はなく、就任直後の地位固め、ただの人気取りです。

その後ソ連邦解体の最中、クリミアは当時の地図の線引き通りに、ウクライナ領になりました。加えてクリミアには、ロシア最大の軍港の1つ、セバストーポリがあります。軍港だけはロシアが租借するという話で今まで糊塗してきたのが、そのうちメッキが剥げました。

無論、ウクライナにも言い分があるでしょう。歴史上、ロシア人やドン=コサックから小ロシア人とバカにされていたことは、『静かなドン』ほか、ショーロホフの作品を読めばいくらでも出てきます。だからクリミアぐらいは腹いせによこせ、だったのでしょうか?

でも例えるなら、これは日本のどこかの道府県が、東京が気に食わんから独立する、といったようなものです。カネもなければ産業もない。もちろん軍事力も伴わない。そのくせこれまでのいきさつで、何かとせびり・タカリをされてきた。と、ロシア人は感じてきたでしょう。

(つづく)

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