マイブーム

最近で買って良かったと思えるものは、百均で売っていた径30cmの大きなステンレスボウルと、それよりやや小さめな、透明プラの米とぎうつわ。ボウルの方は300円したのだが、前々から気になっていた。何に使うというわけではないが、なぜか欲しいと思っていたもの。

さらに200円のステンざると合わせて、この三者は漬物を漬けるのに実に具合がいい。米とぎ器で野菜をよく洗い、ざるに空けて水気を払ったあと、大ボウルで漬け込む。私の漬け方は単純で、重量2%の海塩と昆布だしをまぶし、手でギュギュッと締め込んでいくだけ。

いわゆるザウアークラウトの作り方と同じ。相当量の水分が出るから、それも合わせて広口瓶にいれ、鷹の爪を入れて蓋をするだけ。あとは菌さんがいい仕事をしてくれる。菜っ葉や大根をこうして漬け込み、毎日の食膳に上せるのだが、なんだかとても豊かになった気分がする。

手前みその言葉通り、漬け上がった香の物の美味しさも我が身を楽しませるが、毎日のかて﹅﹅を自分で作っているという快感は、ちょっと他の何かには例えられない。自家消費している農家などは、たぶんこんな気持なのだろう。食うのは自分だから、手間を掛けても気にならない。

いや、その手間がむしろ楽しい。そしてこの手の楽しみは、他人を必要としないし迷惑も掛けない。だから一面、自分の思いのままになる。そしてその反面、生物界の道理や物理法則の前には、謙虚に従うべきある種の敬虔さも伴ってくる。それを不自由とは感じない。

私は作り物の神や生きている人間を拝む趣味を持ち合わせないが、山を見れば偉大と思うし空を見れば高いと思う。手をよく洗わないで漬物を漬ければ、腐って失敗するか腹痛を起こすかどちらかだ。党と国家と人民が命じようとも、ウイルスは勝手に振る舞うのと事情は同じ。

それが分からない人が大勢居るから、人界に疫病は絶えなかったりする。だがどうも様子を見ると、誰かとかまい合っていないと落ち着かない人ほど、そうした病気にもやられやすいようだ。世が流行り病なら出かけねばよい。それでも仕事があるならITを使えばよい。

なのにわざわざ電車に乗って、あたかも病原体の交換所に出入りするような真似をする。これは馬鹿馬鹿しいことなのだが、馬鹿馬鹿しいと言い出すと職が無くなる。なんと馬鹿らしい世の中だろう。それに気付いたある時点から、こんな世間と付き合うのはやめようと思った。

話が大げさになった。要は面白おかしく漬物を漬け、面白美味しく食えればいい。歳のせいか、世間で言うご馳走もあまりうまいと思わなくなった。手間暇掛けて炊いた雑穀入りの麦がゆと、自前で漬けた漬物と、あとは納豆があれば私には十分美味しいご馳走になる。

今日もまた一瓶、ターサイを漬けた。誠に楽しみなことである。

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コメント

  1. 穂積紘道76歳 より:

     中島敦の『弟子』を新潮文庫で読み始めて1か月近くになります。語注や手元の高校生用の漢和辞典(角川新字源、旺文社高校基礎漢和辞典)では物足らず、ネットで語句の出典や意味調べをする過程で、九去堂先生の頁に出会いました。漢文の語彙調べでもネットは随分助けになるものですね。
     全16章中、やっと第八章に入ったところです。文庫の文字は読めるけれど、辞典の文字は拡大鏡が無いと駄目です。暇に任せて頑張っています。
     先生のホーム頁に関しては、本日は長い随筆をふたつ読ませていただきました。面白かったです。愉快な人だな、と思いました。こんなコメント厭だな、と思われるかも、と思いながらも、お送りします。