口が大人になるという事

それは一つは、酢の物を旨いと思うことかも知れない。人間が酸っぱさや苦さを感じるように進化したのは、酸っぱいものには腐ったものが多く、苦いものには毒物が含まれていることが多いからだと読んだことがある。だから子供がこれらを嫌うのは、むしろ当たり前。

それがビールの苦さや梅干しの酸っぱさを好むようになるのは、子供と違って胸腺が働かなくなるからか、それとも単純な老化現象か。ともあれ疲れたときには、とりわけ酸っぱいものを食べたくなるのはなぜだろう。昔はあんなに嫌いだったのに、今では毎日頂いている。

愛知県に豊川稲荷というお寺があって、なにがしかのお金を払うと、精進料理を出してくれる。夏目漱石はお寺のご飯をさんざん悪く書いたが、今のお寺ご飯はむしろ健康食として、そして精魂込めた美味しいご馳走として認識されているのではないか。ともあれその豊川だ。

実家では正月に遠く旅してお参りする習慣があって、毎年その精進料理を頂く機会があった。子供ながらに旨いと思ったが、ただ一つ苦手だったのは、必ず付いてくるもずくの酢の物。いや、他の料理よりは敢えて手を出さないという程度で、もちろん残さず頂いていた。

大人になってからは自分の意志で一度訪ねたが、もはやもずくも美味しく頂けるようになっていた。普段ももずくを食べるようになったのはそれが理由だが、しかし味付けは醤油仕立て。ただし生もずくは長持ちせず、そして結構高価だったりする。だから今は食べていない。

いやむしろ、必要無くなったと言うべきか。ざるに乾燥わかめを一つかみ弱。それをボウルに入れて水で戻す。その間にたれを作る。大さじ一杯の黒酢、そこに粉末鶏ガラスープを少々溶かす。しらすとアミエビをそれぞれスプーン一杯。戻ったわかめの水を切り、あえる。

しらす無しでもかまわない。コストパフォーマンス抜群で、しかも戻りたてのわかめがシャキシャキし、美味しいたれが食欲をそそる。既製品のモズクの酢の物も悪くないが、日持ちしないから食べ物の都合で食べねばならない。だが自分で作るなら、その不自由から解放される。

そうなのだ。食べ物は命を頂くことだから、決しておそろかにしてはならないが、食べ物の都合に従わねばならないというのは、敬意とは別の次元で愉快ではない。幸福になる必勝法はなくとも、不幸を減らす工夫は出来る。食べ物の不自由は、不幸の最たるものではないか。

生きている限り、老若男女誰もに関わる事だから。では今日も、頂きます。

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