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なお論語の本章について、上掲、現代中国での解釈は、何を言っているのだろうか。

「礼法の実践は、仲良きことを重んじる。これは最もうるわしい伝統で、全ての事柄に当てはまる。ただし、仲良しの重視を知りながら実行しない場合に限り、礼法にそむくし、仲良しの重視には絶対にならないのである。」

これはつまり、知っていることを実行しなければ何にもならない、と言っている。「先王之道」とかいう曖昧模糊とした概念をつまみ出している点は合理的と言ってよく、それは同時に、君主制を廃し科学を名乗る共産主義独裁政権下での解釈に、まことにふさわしい。

王陽明
これはあるいは、「知行合一」(知っているならさっさとやれ)を主張した、明の王陽明の解釈を引き継ぐものかも知れないが、今はその典拠を見つけられない。少なくとも朱子の書いた新注までは、知行合一的に解釈していない。

…承上文而言,如此而復有所不行者,以其徒知和之為貴而一於和,不復以禮節之,則亦非復理之本然矣,所以流蕩忘反,而亦不可行也。

論語 朱子 新注
〔和が貴いという〕文の前半を受けて、このように「それでは行われない場合がある」と言っているのは、無駄に和を尊んでそればかり気にし、礼法でけじめを付けないでいると、とりもなおさず礼法本来の意義が失われ、ちゃらんぽらんになってしまい、何の役にも立たなくなってしまう、という意味だ。(『論語集注』)

論理的思考が極めて苦手な中国人も、さすがに近代文明の猛威に晒されると考えを改めた者がいて、数理に近づいた合理的判断が公式に認められるようになった。それゆえ歴代の国家主席は、もと軍人でなければ技師の経験者で、若い頃ダムの一つも造ってから政界入りしている。

だから食うや食わずの時代にもかかわらず、自前で核兵器を造る程度の技術力を持てたのだが、個別に合理的な人はいくらでもいても、総体としては福禄寿(子だくさん・カネ・長寿と健康)によだれを垂らして、バッタの大群の如く数理合理を揉み潰してしまう。
バッタ

他国をどうこう言えるほど日本人としての訳者も立派ではないが、中国という対象はあまりに巨大でかつ古く、一面だけ見るとまるで見誤ることになる。訳者は漢文を通じてそれを知ったが、普通には中国ビジネスで失敗した人でないと、それを分からないのかもしれない。

論語012学而篇第一(12)礼の和をもって



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