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これは有若だけの話ではなく、孔子にも多分にその傾向があり、後世の儒者たちも同じだった。それどころか現代の漢学者も同様で、学界の重鎮と言われ東大の主任教授を務めたある学者の代表著作を読んで、数Ⅰ程度の論理も吹き飛ばしているのに仰天したことがある。
論語 教授

無理も無いことで、戦後すぐまで東大も文学部は事実上無試験だったから、この手の論理に怪しげな人が、時運に乗ると文学博士・東大教授になってしまった。その結果漢学界では、論文の「論拠は地位」がまかり通ったので、学説はよくよく眉につばを付けて吟味せねばならない。

論語詳解012学而篇第一(12)礼の和をもって

だがだからといって戦前の大学教授のおつむが、まともだった証拠にはならない。

例えば東京帝國大學法科大學とは、現在の東大法学部の前身で、同様に官界エリート養成機関だが、その教授を長く務めた上杉慎吉は、本物の狂人だった。天皇を神だと言い、国家そのものと教えたが、講義中に学生から「では天皇が外遊したら日本も引っ越すのか」と問われ。

上杉慎吉
何やら意味不明のことを教壇からわめいたという。加えて同じ東京帝大だろうと、文学部は事実上無試験で、金さえあれば誰でも入れた。全国の帝国大学の入学定員は、旧制高校の卒業者の数と、ほぼ一致していたからである。むしろ中学・高校入試の方が厳しかったらしいが。

学習院高等科のように、これまた金さえあれば誰でも入れる裏口があった。現代との違いを言えば、より漢文が流行っていただけ。「八紘一宇」に代表されるような、人をたぶらかすスローガンは、今なら「マニフェスト」とか英語で言われるが、当時は漢語を用いていたように。

漢学も「古いから」「中国人が書いたから」という理由だけで、無批判に儒者の個人的感想を受け入れていた。だから記憶力さえあれば、それで帝国大学教授が務まった。戦前の漢学とは、反面その程度でしかなかった。

論語詳解015学而篇第一(15)貧しくしてへつらわず

中国史で酒と言えば、次のような記述がある。

夏后氏尚明水,殷尚醴,周尚酒。

論語 位
夏王朝は清らかな水を尊び、殷王朝は濁り酒を尊び、周王朝は清んだ酒を尊ぶ。(『小載せ礼記』明堂位)

伝説上の王朝、夏と並び、殷王朝もまた「酒池肉林」で国を滅ぼしたことになっている。もちろん周王朝がでっち上げたフェイクニュースだが、これはひょっとすると、中国古代の主食が米や小麦ではなく、アワやキビだったことが理由かも知れない。栄養価が違うのだ。

過度の飲酒は、ナイアシン(ビタミンB3)の欠乏症(ペラグラ)の症状の一つだという説がある。個人の感想と断っておくが、若年時より毎晩ウォトカが手放せなかった訳者は、意図的にナイアシンを摂るようになったとたん、飲酒量が激減して休肝日まで設けられるようになった。

同じ100g(おおむね1カップ弱)で、各穀物のナイアシン含有量は以下の通り。一食当たりの摂取目安は3.48mgだという。主食だけで摂取できるのは小麦とコウリャンだけ。しかも人間が三食になったのはほんの数世紀前で、日本人が毎日食えるようになったのさえ戦後のことだ。

玄米 玄小麦 玄大麦 玄?アワ 玄?キビ トウモロコシ コウリャン
2.9mg 6.3mg 1.6mg 1.7mg 2mg 2mg 6mg

https://calorie.slism.jp/より。

ペラグラは皮膚がただれ、気分を鬱にし、最悪の場合死に至る恐ろしい病。特にアメリカなどトウモロコシを主食とする地域で猛威を振るったと言う。『坂の上の雲』に「インディアンは強い酒を好んだ」とあるが、なるほど米国政府の取り締まりをも恐れず密造に励んだらしい。

アメリカの少年が先住民の祖父母と共に暮らした回想録、『リトル・トリー』にそうある。論語に話を戻せば、当時小麦はやっと普及した頃で、アワ・キビ・大麦の方がはるか以前から一般的だった。そしてキビは最高の穀物とされ、大麦の「大」は”すばらしい”を意味する。

論語 孔子 熱
孔子「キビは五穀のかしらであり、天地や祖先の祭には最高のお供えです。」(『孔子家語』子路初見

”劣った麦”を意味する小麦が主食になる前は、華北の人々が大酒飲みになったとて、無理も無いと思わせる。ナイアシン豊富で、かつマオタイ酒の原料として名高いコウリャン(モロコシ)があるではないかと言われそうだが、中国に入ったのは唐と宋の間、10世紀半ばに下る。

論語詳解220子罕篇第九(16)出でては則ち公卿に

本章はおそらく曽子の肉声だろうが、論語に収録された背景には儒教の国教化、儒学の権威化が背景にあるだろう。同時に孔子塾が武芸も教えたからには、ひょろひょろの曽子にとって子張は恐ろしい武術の使い手であり、道場で心底震え上がった経験があったのだろう。

だから「今日の所は勝ったことにしといてやるぅ~」と、負け惜しみを言ったのである。ここからは筆者の雑談だが、不良くずれなど、若くてイキがる新弟子は、一旦ボコっておかないと、道場の雰囲気が悪くなる。頭が悪い者ほど、物理的な恐怖しか理解できないからだ。

若くてイキがる者だけではない。老人だろうと巫山戯ふざけた新弟子はいる。


公共の場で傍若無人の態度が目立つ、戦後生まれのとある世代に多い。命のやりとりを学ぶ場に、「暴力ハンタ~イ」を自分の都合のいい時だけ持ち出してくる。というより、連中は自分が生来尊貴であり、優遇されて当然だと思っている。だから誰彼かまわず横柄な口を利く。

武道の基本が礼儀作法にあることは言うまでも無い。それ無しでは道場が、蛮族の養成所と化すからだ。しかし連中にはそれを躾けようが無い。入門したばかりにも拘わらず、勝手に上座の師範と並んで座り、それを丁寧に注意してやっても、黄色い目を剥いて怒り出すのである。

これは訳者個人だけの経験では無いらしい。八段範士と言えば武道の最高位だが、その師範のお一人が、ある時喫煙室で歎いておられた。「あの世代はどうにもならない。」斯界では海外にまで名が聞こえた方で、長年大勢の弟子を指導して来られたからには、その言葉は重い。

どうにもならない理由は、敗戦で茫然自失中の親や世間から、ただの一度も躾けられた事が無いからだ。故に長じるやギターをかき鳴らしつつ、国内ではテロを繰り返し、外国にまで出かけて銃を乱射し、授業には出ずデモとアオカンばかりしていた。だから頭が悪いと言う。

あげくに職に就いた途端、下の世代をいじめ抜く側に回った。

訳者は当時学齢期だったから、それはもうむごい目に遭った。連中が暴れた反動で、政府と世間は児童生徒を家畜のように囲い込み、学校は強制収容所と化した。中学男子は丸刈り強要、小学教師で堅いモップの柄を持ち歩き、それで児童の頭を殴って回った者が訳者の担任だった。

しかも卒業時にその断片を、記念品とか言って配って歩いた。狂人としか言いようが無いし、今なら紛れもない犯罪者だ。しかもこれはまだ甘い。遅刻したからと言って校門の鉄扉で生徒を潰し殺したにも関わらず、事実上チャラという軽い処分で済んでしまった教師さえいた。

修学旅行に、禁止のドライヤーを持ち込んだというだけで、生徒を殴り殺した教師もいた。さすがにこれは実刑が下ったようだが、奴らは児童生徒を奴隷か家畜のように扱い、サディズムを満足させた。今では信じられないだろうが、ほんの少し前の世の中はこうだったのだ。

教職ばかりでは無い。他の多くの職場でも、奴らはまともに働かなかった。

事実あの世代が就職した頃、毎年のように公共交通機関は一斉にストライキした。社会に損害を与えておきながら、それを今武勲の如く奴らは語る。中年になると稼ぎもせぬ高給を取り、老いて景気が悪くなった途端、若者を薄給でコキ使った。ブラック企業は連中の発明である。

退職後は法外な退職金を取り、社会保障を食い潰し、コンビニや牛丼屋の気の毒なレジ嬢を怒鳴り散らして回っている。たぶん子や孫にも相手にされないからだろう。立場の弱い者をいじめることしか出来ない。それはひとえに無能だからだ。自分で自分の始末が付けられない。

だから今もその犯罪率は、統計上有意に高い。警察庁発表のデータを年を追って詳細に見てみるといい。連中の加齢と共に世代別犯罪率の山が移動している。頭が悪いだけに、とりわけ粗暴犯が多いが、訳者の経験に限るなら、小売店で捕まる万引きはたいてい奴らだ。

訳者の物言いは言葉が過ぎると聞こえるかも知れない。しかしそれでかまわない、ウソ偽りでは無いからだ。加地伸行は論語陽貨篇26を、「四十にもなって人に憎まれるようでは、もう終わっているわ」と訳している(『論語のこころ』)。当時の四十は、現在の七十に相当する。


訳者に横柄な質問を寄こした論語講釈士もこの世代。成果だけ受け取りながら、作業は他人がするものだと思っているらしい。霊感商法まがいの資格商売に走った元教授も陋劣なら、金だけ払えば知識や教養が手に入ると考える講釈士もたわけている。被害者とは言えず自業自得だ。

だが論語に話を戻そう。曽子が子張にボコられたかは分からない。しかし本章が史実とすると、曽子は我からひょろひょろを暴露している。そして論語に言う徳には武力も入る。ひょろひょろが常時無差別の仁愛を発揮できるほど、戦乱の論語時代は甘くなかったからだ。

それは現代も変わらない。人間も生物であり、基本はまず身を守る事だ。自分を守れない者が、どうして他者を守ってやれるだろうか。あの世代と文弱の儒者や漢学者には、決して論語は分からない。それでいいのだろう、人を食い物にすることしか考えていないからだ。

大カトー
ところで、カルタゴ滅ぶべし。(大カトー)

ところで、○塊滅ぶべし。だが放置しても、間もなく勝手に死に絶えよう。頭が悪すぎるから長生きも出来まいし、今となっては信じ難いように、その所業はもはや黙認されない。学校や職場でも、あの残忍は一掃された。どんなに今が辛く見えても、その分世の中はよくなった。

それを心から喜びたい。

論語487子張篇第十九(16)堂堂乎たり張や

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