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いずれも独裁者の趣味だった。その意を迎えざるを得ない諸藩も、儒教の受け入れにやっきになった。だから清朝に追われ海からワカメだらけになって上がってきた、中国人の一人朱舜水を、黄門様は優遇した。しかし舜水は、引退したラーメン屋のおやじに過ぎなかった。

徳川三家の一家、表高35万石の領主が、そのラーメン屋のおやじを拝んだのである。

朱舜水 ラーメン
今も水戸名物に黄門ラーメンがあるのはそれが由来である。訳者も西山荘はじめ常陸の各地を回った後、一日水府に滞在して味わった事がある。あれはうまいものではない。だがラーメン屋のおやじを侮ってもならない。舜水は抗清戦の前線に立った勇士でもあったからだ。

同様にモスクワは赤の広場にそびえる、「肉屋のおやじクジマミーニン像」の例もある。銘板のГРАЖДАНИНУグラジダニヌ МИНИНУミーニヌを、”市民ミーニン”と訳すのは日本のロシア語業界のお約束に過ぎない。それはピョートル大帝の定めた身分呼称で、より日本語に近い訳は”町人”だ。
クジマミ-ニン

朱舜水も、わかめ中国人の儒学の程度を判断できる者が、受け入れ側の日本に皆無だったから、水戸始め諸藩もただ中国人が居るというだけで体裁は整った。日本人に儒教が根付くのはこの頃からだが、その原動力は綱吉にしろ定信にしろ、狂気の独裁者の趣味からだった。

攻め込んだポーランドに発憤したミーニンは、肉切り包丁片手に立ち上がって敵兵を追い払い、国民的英雄となった。同様に舜水は勇士だったが、儒学の教養とは話が別である。舜水は黄門様の厚遇が後ろめたかっただろう。ゆえにせめてラーメンを作って恩に報いたのだ。

その方が後世の水戸市民にとって、どれだけ助かったかわからない。この点wikipediaあたりは、儒学については偽善を事とする儒者風味の者しか書き手になりたがらないので、ものすごく盛ったうそデタラメが平気で書いてある。論語の儒者の注釈同様、真に受けるのは危険だ。

朱舜水も、わかめ中国人の儒学の程度を判断できる者が、受け入れ側の日本に皆無だったから、水戸始め諸藩もただ中国人が居るというだけで体裁は整った。日本人に儒教が根付くのはこの頃からだが、その原動力は綱吉にしろ定信にしろ、狂気の独裁者の趣味からだった。

***

その安吾の文が有卦うけたのは、痰が絡んだ時に、偶然落ちていた広告チラシと同じ事情である。火急の用には必要で有り難いが、ぺぇっと吐き出してくしゃくしゃ丸めたら、後は捨てる他に用がない。拾い直してロールシャッハの真似をするのは、バカと国語教科書の筆者ぐらいだ。

日本の論語業界と漢学界

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