本日の改訂から

世の中には、馬のションベンのように、いつまでもベラベラとしゃべり続ける人がいる。一種の病気で、自分が客観視できていたら、入りたくなる穴がいくつあっても足りないはずだが、病気だから当人は気付かない。論語の全章が史実だとすると、孔子はそれに相当する。

ところが論語では、本章の「佞」を”口車”と解した従来訳のように、多弁を戒める言葉が少なからずある。矛盾に他ならないが、洗脳装置としての儒教はそもそも差別の体系だから、矛盾とはされない。聖人である孔子は多弁でも許され、小人である読者は口を慎まねばならない。

孔子の学派は、孔子の生前、庶民が貴族に成り上がるための、教養体系として出発した。つまり儒学である。孔子没後、一旦事実上滅びた儒学は、希代の世間師である孟子によって、諸侯をたぶらかすための詐術=儒教として再出発した。だが何ら世俗的機能を持たなかった。

だからまともに相手をした諸侯が、事実上ただの一人も出なかったのだ。ただし孟子儒教には、のちに帝国儒教の公認理由となる、儒術の種が宿っていた。それが差別の体系である。目上は好き勝手していいが目下はいけないという、権力にとってまことに都合の良い概念だ。

だから儒者嫌いだったはずの漢の高祖劉邦が、儒教を公認したのだ。儀式の席では、皇帝は偉そうにふんぞり返っていてよいが、臣下はいかなる功臣であろうとも、沈黙を守り這いつくばらねばならなかった。要するに差別の体系を、儒術として支配の道具に役立てたのである。

儒術という言葉は、早くは『墨子』に見られる。だがその姿は判然とせず、現伝の『墨子』が思想家墨子の肉声とも言えない。孟子と少し世代が下がる『荀子』にも儒術は見られる。だが社会を富ます技として記され、おそらく差別・洗脳装置としての儒教・儒術ではない。

漢帝国が、建国当初から儒教帝国だったわけではない。漢代儒教はあくまで支配の舞台装置として、道具の一つとして出発したに過ぎない。だがその影響力は徐々に帝国の隅々に行き渡り、武帝時代にいわゆる儒教の国教化と言われる待遇を権力から受けるようになった。

その司祭である儒者は、論語を差別の論拠として書き変え、再解釈せねばならなかった。そのためなら、儒者はでっち上げも平気でやった。それを見破ることが出来ないから、本章の従来訳のような解釈が、今なおまかり通っているのである。

訳者は一個人としての下村先生を、立派な方だと認めているが、だからといってデタラメのままの論語の翻訳まで、立派と認めるわけにはいかない。世の論語読者も、従来訳のようなデタラメを真に受ける前に、自前の常識に照らし合わせ、少しは考えてみればよいのだ。

春秋の世は、情けない時代だったかも知れない。だがそれへの泣き言ばかり垂れ流す師匠に、大勢の弟子がついていくかどうか。命の危険もあった放浪の旅に、我から従って供をするかどうか。古代人も現代人も人間である。現代でも無茶なら、たいてい古代でも無茶なのだ。

孔子が本章で語ったのは、美男美女は老けない間はわがままであるという、現代でも当たり前に見られるけしきに他ならない。容姿に恵まれないフィギュアの選手が、一生懸命飛んだり跳ねたりするように、外見でたぶらかせないから、人は懇ろな態度を他人にとるのである。

相手がはいはいと従うなら、誰が機嫌など取ろうとするだろうか。団塊がそうであるように、甘やかされて育った者は、必ず横暴な化け物と化す。いくら年齢を重ねても変わらない。どんなに嫌われても気付かない。そして嫌う他世代の方がケシカランと説教するのである。

バカに付ける薬は無い、と孔子が言ったとおりになる。本章で挙げられた宋朝の例ではないが、同じく霊公に仕えた弥子瑕は、美貌をいい事に好き勝手を極めたが、容姿が衰えた途端に悲惨な目に遭わされた、という逸話を韓非子が記している(→余桃の罪)。

https://hayaron.kyukyodo.work/syokai/youya/133.html

東大在学中に海軍に志願し、戦後作家になった阿川弘之は、そうした連中を軽蔑して「志賀直哉流には”安普請”と言う。風向きが変わるとすぐにガタが来る」と『海軍こぼれ話』に書いた。もっとも、志賀直哉自身が安普請の典型例で、敗戦後に日本語を廃止せよと血迷った。

そこで私は此際、日本は思ひ切つて世界中で一番いい言語、一番美しい言語をとつて、その儘、国語に採用してはどうかと考へてゐる。それにはフランス語が最もいいのではないかと思ふ。六十年前に森有礼が考へた事を今こそ実現してはどんなものであらう。不徹底な改革よりもこれは間違ひのない事である。森有礼に時代には実現は困難であつたろうが、今ならば実現出来ない事ではない。(「国語問題」)

ただ金持ちの家に生まれたという理由だけで、学習院→帝大文科へ進んだ、白カバ派の親分に相応しいうろたえぶりである。だが志賀がたわけだったことを理由に、徴兵を逃げ回った漢学教授を弁護出るわけが無く、その志操も堅固なわけがなく、学生を説諭出来るわけもない。

https://hayaron.kyukyodo.work/kaisetu/dqn3.html

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