本日の改訂より

帝政期の日本は、天皇を神サマ扱いしないとぶち込まれ、拷問死の憂き目に遭う吉外国家で、その神格化を言い出したのは神主ではなく儒者。吉外神主はその後でわいたに過ぎない。従って孔子も信仰の対象で、八紘一宇などの洗脳スローガンをまき散らしたのも、税金を湯水のように使って帝大より優遇された、大東文化学院に巣食った吉外儒者どもである。

西田幾多郎 西田幾多郎
和辻博士の言うことは、その分割り引いて聞かねばならない。その属した京都学派も、うさんくさい連中の集まりで、親分格の西田キタローは、俗物極まるネズミ男で、日本の文系論文に分けの分からない言葉で書くという流儀を持ち込んだ。金に困って軍部の先棒をかつごうとしたが、あまりに人間が卑しいので、東条英機に断られた。和辻博士にも油断は出来ない。

https://hayaron.kyukyodo.work/syokai/jutuji/165.html

孟子 お笑い芸人 孟子 梁恵王
論語の本章を恐らくは孟子がでっち上げたわけは、孟子の個人的フトコロ都合による。孟子は世間師として売り出すに当たり、たまたま郷里にその痕跡があった儒家を商材として選んだが、富国強兵を最優先する戦国諸国に売り出すには、そのままでは都合が悪かった。

つまりもう忘れ去られた古い儒学を売るためには、「古いことは良いことだ」と顧客に勘違いを植え付けないと、売れないのである。要するに孟子は金儲けのために、戦国の世にアホの粉をまき散らしたのであって、論語の本章に深い歴史的・哲学的意義は全くない。

儒家は孔子の生前も、「昔のことばかり言い立てて現在を見誤る」と批判されたとされるが、元ネタは『晏子春秋』で、その成立が晏嬰の生前やその直後であったかは極めて怪しい。ただ後世、儒者がむやみに昔を言い立てることが、批判の対象になったのは確かである。

儒教が持つ愚かしいほどの復古主義は、ニュートンが微積分を実用化するまでは、その病原性が表沙汰にならずに済んだ。地大物博を誇る中国は、天候の激変やよほどの政治的ヘマの連続がない限り、異民族に対して偉そうな態度を取り続けられたからだ。だから宿痾となった。

その発端は上記したように、孟子の個人的な欲望にあり、つまり孟子は二千年にわたって中国人に迷惑を掛けたと言って良い。もちろん孟子の先棒をかついだ代々の儒者どもが、共犯であることは言うまでも無い。儒教が世間をクルクルパーにする邪教であるゆえんである。

https://hayaron.kyukyodo.work/syokai/jutuji/166.html

「君子」に”教養人”とか”人格者”とかいった偽善的な意味が付け加わったのは、孔子没後約一世紀のちに現れた、希代の世間師・孟子によるもので、孟子は自分の商材として選んだ孔子の儒学を、でっち上げと曲解によって儒教に作り替えた。論語にも捏造を多数混ぜ込んでいる。

孔子の時代、君子とは平民出身がほとんどである孔子塾生が目指した貴族のことで、当時の貴族は一人の例外なく、戦士である。従ってたかがナイフ男が出ただけで、わあわあと逃げ散るしか能が無い者や、すくみ上がって刺される者は、まぎれもなく小人ということになる。

https://hayaron.kyukyodo.work/syokai/gakuji/001.html

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