私は私立文系バカで、今なお微積分どころか因数分解すら不自由なのが気になって仕方が無く、やさしい数学の入門書が出たと聞くたび、ブルーバックスやnewtonのムックを買って読み、その都度絶望に駆られる愚か者である。
これに対して、国立理系アホウというのを想定し得る。身近に東大の理系を出た連中がわんさか居るので、観察対象には事欠かない。その定義となるべき事象を、誰にでも分かるように言うのは難しいが、東大では無いが京大出の、竹内久美子という人間のクズが解り易い。
このクズ女は名を挙げた『そんなバカな!』という本で、他については慎重に言葉を選んだくせに、男性の薄毛については容赦なく罵倒した。〇人の悪口が半句でも聞こえれば、腐った生卵を投げつけられて、有り金をはたききるまで糾弾されるが、ハゲはその恐れが無いからだ。
つまり「社会通念」という文系用語をバカに仕切った理系人のくせに、こういうところだけ社会通念の奴隷になるのである。私立文系も劫を経ると、「罪なき如何なる者も傷付けるな!」という境地に至るが、文系をバカに仕切っている竹内のようなクズが、分かる動機が無い。
ロシアを平気で田舎者と斬って捨てる理系人に、ささやかな抵抗をさせて貰えるなら、ボルコンスキー公爵が、愛する娘に毎朝三角関数を講義していたとトルストイが描いたこと、パイェーハリ!と言って初めて宇宙に出た人類が、ロシア人だったことを言わせて貰おう。
国立理系アホウは、その技能故に世間が甘やかすから、人間を理解する動機も機会もが無い。甘やかされた者は団塊のように、必ず人間のクズになる。どんなにテンソル解析が得意だろうと、ラマヌジャンなみの定理を毎日書こうと、罪なき者を傷付ける者は人間のクズだ。
上了一个!上了一个好的!…身跑!”誰でもいい、俺の戦車に乗れ!…よく来た!”
先生。”よろしくお願いします。”
什么是到?”何を持ってきた?”
剑”つるぎだ。”
只好了。一在冲团块人一个字!”よかろう。団塊には、ただ一字あるのみ!”
什么字?”何だ?”
杀!”ぶち○せ!”
杀!”ブッ○せ!”
閾値を超えた恨みは、消す方法が無いと二千年前に老子が言った。失われた信用を取り戻すのは、難しいことは全くない。方法がそもそも無いのである。今怖くない相手を、国立理系アホウとただのアホウは、平気でこき下ろして快楽にする。精神が病んでいると言うしかない。
何を、期待することがあろうか。