本日の改訂から

吉川の目には、孔子がただの好々爺に見えるらしい。とんでもない、孔子は政策実現のためならば、ためらわず陰謀をたくましくし(『墨子』非儒篇)、使えると見た相手には、平気でお追従も言った(論語泰伯篇1)。貴族なら弟子だろうと、利用した上に見殺しにした(司馬牛)。

孔子 革命家
孔子とはまず革命家である。父親も分からない拝み屋の母を持ち、その社会の底辺から、身分差別の厳しい春秋の世をのし上がって、ついに宰相格にまで出世したからだ。これは運の良さだけでは説明できない。「そこまでするか」というようなことを、数多くしてきたのだ。

当時は小麦と、鉄器と、弩の発明による歩兵戦の出現によって、それまでの秩序が動揺していた。だから既存の諸侯や大貴族にとって、「そこまで言うか」をいくつも知っていた孔子が、相談役たりえたのだ。そして「そこまで」諸国でやったから、放浪を余儀なくされたのだ。

腑抜けたお上品を言う人物ではない。役立たずなメルヘンを言う人物でも無い。

https://hayaron.kyukyodo.work/syokai/isei/036.html

論語の本章は、儒家だけが音楽の管理権を持つことを主張するための捏造。こんにちで言えば、jasrac騒動とよく似ている。

儒家にとって音楽とはただの娯楽ではなく、政治の一部分だった。こんにちでも独裁国家が派手な軍事パレードをやらかすように、音楽は民を躾けるための重要な手段と見なされていた。従って儒学を別名、礼楽(作法と音楽)と言った。音楽を重視したのは、孔子も変わらない。

孔子は政治工作として、楽団を組織して派手にあちこちでぶんがぶんがドンドンや、わ~あ~をやらせたらしい。そういえば真っ赤になった団塊も、ロシア民謡を「うたごえ喫茶」で歌っていた。孔子と入れ替わるように生きた墨子が、晏嬰の口を借りてそれを証言している。

論語 晏嬰
いくら金を掛けても、彼らの言う楽団の楽器は揃えきれません。言葉を飾ってよこしまな企みで国君を惑わし、合唱団を巡業させて愚かな民を惑わしています。(『墨子』非儒下篇)

孔子の生前はこの程度で済んだ。諸侯も真に受けなかった。だか帝国の儒者は、論語に「鄭声は淫ら」(論語陽貨篇18)とあるのを利用し、気に食わない音楽を「鄭声だ」と言って弾圧した。政治抗争でない弾圧は、権力を握った者の娯楽である。どこまでも迷惑な連中だった。

https://hayaron.kyukyodo.work/syokai/hatiitu/042.html

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