本日の改定から(2)

孔子はその冷徹により、自分の死をも飾ろうとしなかった。大げさな葬儀の用意をした子路を叱り飛ばし(論語子罕篇12)、弟子にも孔子自身の死を語ることを禁じた。弟子は偉大な師の死を、語りたかったはずである。なのに論語のどこにも、孔子の死について記した箇所が無い。

論語子罕篇の後半が、それとなく匂わせているだけだ。こんにち孔子の死の前後について知れるのは、司馬遷が孔子の故郷で古老の話を聞き取って、それを史記に記しておいたおかげである。ただし、古老が一杯機嫌でデタラメを語っていないとは、誰一人言うことが出来ない。

この冷徹は、同世代の賢者である、ブッダと比較するとよりはっきりする。ブッダの知力は、あるいは孔子を凌ぐであろう。だがブッダは死に際して、打ってほぐした布を用意せいだの、天の神が降りて来るだの、沙羅双樹が咲くだのといった作り事を、弟子に語り続けた。

あるいはブッダ自身は、そのようなものは有りはしない、と思っていたかも知れないが、生涯そういう作り事を語り続けたのは事実である。ブッダは社会の底辺に生まれた孔子と違い、自身が王子に生まれ、長じては大国コーサラやマガダの国王から帰依された。

それゆえに、旦那衆の気に入るような話を、言って聞かせるしかなかった。「仏のウソをば方便という」という、明智光秀の言った通りだが、「神なんて居ない」という冷徹は、『スッタニパータ』にも『ダンマパダ』にも、『マハーパリニッバーナ・スッタンタ』にも無い。

対して孔子は、誰が旦那でもない。憚って作り事を言う必要が無い。それが被差別階級に生まれながら、一国の宰相にまで上り詰めた男の凄みというものである。後世の中国人が孔子を評して「素王」=無冠の帝王と賞賛したのは、まことにその凄みを反映した呼び名と言えよう。

https://hayaron.kyukyodo.work/kaisetu/kousi-idai.html

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