昨日の改訂から

新注を編んだ朱子とその引き立て役は、ご覧の通り言葉をもてあそんで、空想の上に妄想を重ねた、自分らだけにしか分からないオカルト趣味に走った。現代日本で言えば、雑誌『ムー』なんか毎月熱心に読んでいる中二病患者で、とてものことまともな精神とは受け取れない。

今なお新注がどうたらと御託を言う連中は、本当に読めているのだろうか。

https://hayaron.kyukyodo.work/syokai/sikan/221.html

徳について何一つ説明していない。偉そうに説教して生涯を終えた連中が、徳が何か知らなかったのである。謝良佐は朱子学の一味と言うよりのちの陽明学の祖で、「知行合一」=自分が正しいと思うことならどんなことをやっても正義だ、というテロリストの理屈を言い出した。

朱子は論語の本章について、何一つ言う資格が無い。夭折せず記録に残っただけでも、息子三人、娘五人の子だくさんである。要するにど助平おやじで、徳を知らない上に大いに色を好んだのだ。そして他人には色事禁止と言い出した図々しさは、すでに論語学而篇7に記した。

吉川はじめ日本の漢学教授の九分九厘も同じである。徳は論語の教説の中心概念だが、それなのに今の今まで、誰も正しく読んだ者はいなかったことになる。儒者も漢学教授も、筆と箸とワイロより重い物を持とうとしなかったからだ。ちなみに訳者は東大教授の収賄現場を、この目で何度も目撃している。

https://hayaron.kyukyodo.work/syokai/sikan/222.html

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