本日の改訂から(2)

またブッダの教団では、出家者は一切の世俗事を行わない。主家者は在家の信者に養われるか、乞食こつじき行によって生活の糧を得た。在家の王族や大商人、または一般の施与者に向かって、「死んだらそれまで」などと言おうものなら、直ちにブッダとその弟子は飢えるのである。

ブッダの高弟とされるサーリプッタやモガラーナが暗殺されたと伝えられるのも、高弟ゆえに「死んだらそれまで」と確信しており、それを他の教団から敵視されたからだ。ブッダ自身も暗殺されたと考えられなくはないが、80を超えた年齢では、自然死と考えてもよいだろう。

対して孔子は、誰が旦那でもない。魯の宰相だった時、衛に亡命した時には、孔子は現代換算で111億円の年俸を得ていた(論語憲問篇20)。弟子の数三千という誇大を考え合わせると、別に養って貰わなくても、弟子共々食えたのである。無論、生活の糧に困った時もあった。

例えば論語衛霊公篇26などが、その事情を示している。だが弟子にはアキンド子貢という、唸るような大富豪がいた(『史記』子贛伝)。加えて孔子は弟子に、世俗事を禁じていない。弟子はアルバイトにも励めたのである。だからこそ、孔子は作り事を言う必要が無かった。

誰はばかること無く、孔子はあるものをある、無いものを無いと言えたのだ。それが被差別階級に生まれながら、一国の宰相にまで上り詰めた男の凄みである。

現代でさえ、有るものを有る、無いものを無いと言えるのは、広い中国に恐らくただの一人もいない。後世の中国人が孔子を評して「素王」=無冠の帝王と賞賛したのは、まことにその凄みを反映した呼び名と言えよう。

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