本日の改訂から

だが論語本章の本質は、全然別の時代と場所にある。

前漢の武帝(位BC141-BC87)はやることなすこと暴君そのもので、よくも国が滅びなかったと不思議なほどだが、その暴政の一環として、漢帝国のあらゆる制度をいじくり倒した。国軍を事実上廃止して、総司令官を帝室の家事使用人扱い(大将軍)としたのはその一つ。

仮に親子兄弟孫祖父母親類縁者聖人賢者忠臣でも、自分以外の誰かが軍隊という物騒な集団を握っているのが、怖くてたまらなかったからだ。以降中国では皇帝大総統国家主席党総書記を辞めた最高権力者はあっても、軍隊の親玉を辞めた例は寡少で、辞めたらほぼ殺された。

そういう事情で衛青霍去病将軍らの匈奴遠征が行われるのだが、戦争ほど金のかかる事業は無い。即座に財政が破綻したので、武帝は今度は経済政策と税制をいじくり回し、増税に次ぐ増税と、チクリによる財産没収、貨幣の改鋳を行い、皇帝発行のニセがねをばらまいた。

武帝は司馬遷の例のように、機嫌を損ねただけでナニをちょん切るような暴君だったから、役人どもは震え上がって武帝の増税策に協力した。いわゆる儒教の国教化を趣味で始めたのも武帝だが、儒者は武帝が生きている間は、やはり震え上がって大人しくしていた。

だが武帝が死んだ途端、反動で官民揃って騒ぎ出し、死後を任された権臣の霍光にも手が付けられなくなった。霍光は一計を案じ、全土からはな垂れ儒者どもを集めて、武帝時代を支えた高官たちを批判させた。やったことは毛沢東の文化大革命とまったく同じである。

そのいきさつをまとめたのが『塩鉄論』だが、はな垂れ儒者どもはありもしなかった古い制度=論語の本章の「肆」を持ち出して高官を吊し上げた。論語の本章はその頃に書かれたと思われ、舞台を論語の時代に移して書いたのは、「漢皇色を重んじて」とある「長恨歌」と同じ。

『仮名手本忠臣蔵』とも同じ。責任追求されると怖いから、時代を変えただけである。

余談ながら武帝の故事は、古今東西の人類に普遍の、政権とは何かを示している。どんなに暴政を布いても、財政が破綻しても、戦勝や領土拡張が続く限り、その政権は滅びない。北朝鮮が将軍様の勝利伝説を言い回るのも、中国が尖閣に押し寄せるのもそれゆえだ。

土地や海が欲しいのではない。権力者が、政権の崩壊と自身の惨殺を怖がっているだけだ。つまり中国国内での暴政と表裏一体の関係にあり、突き詰めれば国家主席なり党主席なりのナニガシの個人的都合で、国内外での暴力沙汰が起こっているわけだ。迷惑な連中である。

岡田斗司夫が現代中国について、先進国が経験しているようなあれこれをとっくに経験済みの超・先進国であり、民主主義とか合理主義を言い立てる者が幼稚だ、と言い放っているが、まるで中国を知らないのに、知っていると勘違いした馬鹿者の典型例だと断じうる。

漢帝国の昔から、馬鹿者が皇帝になるとどんなひどい世になるかをさんざん経験したにもかかわらず、制度的にそれを改めよう、制限して少しでもこの世の不幸を押しとどめよう、そういった努力はあってもまるで成果にならなかった。中国はむしろヘーゲルの観察が正しい。

「諸君の眼前に、古代そのままの帝国がある。」当否は遠くない将来に分かるはずだ。

https://hayaron.kyukyodo.work/syokai/ganen/287.html

『論語集釋』によると、「誠不以富、亦祇以異」を論語季氏篇の錯簡だと言い出したのは宋儒の程頤(程伊川)で、たびたび紹介したように、現代なら山奥に住みながら、わざわざ雑誌『ムー』なんかを毎月取り寄せて、熱心に読んで真に受けているような、頭のおかしな人物だ。

だが論語の本章は、子張に迷いの弁別法を問われながら、孔子は迷いを説いて弁別法を説いていない。どうもこれ以降の簡が抜け落ちたらしいのだが、後漢末期になって、自他称大学者の馬鹿者鄭玄が、季氏篇からテキトーに簡を引き抜いて本章にくっつけた。その言い分。

鄭𤣥曰此詩小雅也祇適也言此行誠不可以致富適以是為異耳取此詩之異義以非之也

鄭玄
これは『詩経』の小雅から引用した句で、「祇」とはかなうことだ。句の意味は、”誠実に行動したのなら、それによって儲けてはならない。儲けが出ても、それはイカンことだ、と拒否すべきだ”である。この詩の「異」を引いて、”(富を)非難する”の意味を表したのだ。(『論語義疏集解』)

後漢の儒者がいかに頭が悪いか、デタラメを言いふらしたかは、「後漢というふざけた帝国」で記した通り。「祇」は”ただ…だけ”を意味するが、”かなう”は意味しない。「異」は”違っている”を意味するが、”ケシカラン”は意味しない。意味するようになったのは、儒者がデタラメを書き、後世の儒者がさらに猿真似したからだ。

「誠不以富、亦祇以異」は、”まったくもって、富を思わず、それよりも、ただ異なったのを思う”を意味しているだけ。もし「ボクの訳本では違うもん」と言い張るなら、それは儒者のデタラメを真に受けて、自分で調べもしない怠惰な漢学教授が書いた、ポッと出のタワゴトだ。

以下、原詩と訳者による訳。

我行其野、蔽芾其樗。我が野のさすらい ゴンスイ茂れり
昏姻之故、言就爾居。夫婦となりて 我共に棲みしが
爾不我畜、復我邦家。なんじ我をいつかず いざ里に帰らん

我行其野、言采其蓫。我が野のさすらい 苦菜を喰らいて
昏姻之故、言就爾宿。夫婦となりて 我共に宿りしが
爾不我畜、言歸思復。なんじ我をいつかず いざ里に帰らん

我行其野、言采其葍。我が野のさすらい ヒルガオを喰らいて
不思舊姻、求爾新特。なんじを捨てん おのこを求めん
成不以富、亦祇以異。まことに富を思わず ただ異なれるを思わん
(『詩経』小雅・我行其野)

「言」は詩経独自の用法で、音通する「我」を意味すると『学研漢和大字典』にある。古典だろうと訳本を鵜呑みにせず、まず地道に辞書を引くことだ。他の言語は知らないが、「幾何学に王道無し」である。漢文に王道があるなら、サボリ教授どもはとっくにクビになっている。

ともあれ上掲は、「モーあんな男まっぴらだ。金持ちでなくていいから、別のいい人見つけよう!」と、嫁ぎ先から逃げ帰ってくる女の歌だ。「以」を”思う”と訳したのは原義”手に取る”→”心に取る”の派正義で、鄭玄のデタラメに従う必要など、全然無い。

以上から、確かに頭のおかしな男の言い分ではあるが、「誠不以富、亦祇以異」は、論語季氏篇からの錯簡と判断した。

https://hayaron.kyukyodo.work/syokai/ganen/288.html

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