本日の改訂から

『大漢和辞典』を引いても「用霊」「用練」の意味がはっきりしないが、いまはこのままで措く。それより論語の成立史で必ず言及される、前漢初期にはあったという三種類の論語、『古論語』『魯論語』『斉論語』だが、本当にあったのだろうかと思っている。

学界の定説では三種の論語は前漢末には一冊残らず焼け消えて、古論語系統の現伝論語のみが伝わったとされているが、その論拠は、そうした多様な論語が滅んでから百年以上過ぎてからの王充が書いた『論衡』であり、見たはずが無いものをまるで見たかのように書いている。

また訳者のこれまでの調べでは、現伝論語が完成するのは後漢まで時代が下る(→論語郷党篇は愚かしいのか)から、三種の論語が仮にあったにせよ、それらは現伝の章句を完備していない。しかも国教の地位にある学派開祖の語録を、簡単に焼き捨てることなどあるのだろうか?

もしそうなら、なにかよほどの政治的事情があったはずだし、そもそもそれらが存在するというのが、儒者のデタラメのように思えてくる。だが今は、それに答えられるほど、訳者は論語を読み切っていない。ただ暫定的な疑問を提示できるだけである。

https://hayaron.kyukyodo.work/syokai/ganen/290.html

論語の本章の成立時期については、定州竹簡論語にあること、『礼記』大学篇『大載礼記』礼察篇に引用があることから、前漢よりは下らない。だが本章の「吾猶人也」の「也」は、詠歎に訳すのは無理があるように感じる。やはり戦国時代の成立とすべきではないか。

孔子が亡命するハメになった一因として、代官として「男女が道を別にし、落ちているものを拾わない」圧政を敷いて、庶民から嫌われたことが挙げられる(『史記』孔子世家)。仮に本章がそれより後の発言とすると、多少孔子も反省した結果かも知れないが、憶測でしかない。

罪を罰するより、罪を起こさせないような政治を行うのが正しいあり方だ、というのはまっとうに聞こえるが、そういう思想が孔子にあったのだろうか。論語為政篇3、「みちびくに礼を用う」が後世の偽作だったことを思うと、どうも孟子の思想であるように思える。

若民,則無恆產,因無恆心。苟無恆心,放辟,邪侈,無不為已。及陷於罪,然後從而刑之,是罔民也。

孟子
民という者は、財産がありませんから、不動心など持ちようがありません。不動心が無いから、悪さはする、図乗りはする、やりたい放題するしかないのです。その結果捕まって、その後で王殿下のような為政者が、そういう者に刑罰を加える。これを民を馬鹿にする、というのですぞ。(『孟子』梁恵王上)

有名な「恒産無くして恒心無し」の出典だが、孟子は上掲の梁の恵王だけでなく、滕の文公にも同じ説教をしているから、孟子にとって目玉商品だった可能性がある。もっとも、文句がまったく同じな点は如何わしいのだが、それに目をつぶれば孟子の思想と言ってよい。

対して孔子は論語を通読すると、民を徹頭徹尾経済動物のように思っており、慈しみ可愛がりはするが、それは畜産農家が家畜を大事に育てるのと同じ理屈だ。とりわけ中国ならではの事情として、一揆勢とか叛乱軍とかには遠慮がなく、相手が高貴な身分だろうと惨殺する。

食ってしまう者もいる。「食べちゃいたいほど」の下の句は、日本語では「可愛い」だが、中国では「憎らしい」のが常。だから為政者側も民に油断は出来ないのであり、民の立場で論語を解釈してしまうと、ついついオトツイの方角に出てしまうことになる。

論語を誤読しないための心得として、まず自分が論語の時代に言う「君子」の資格が有るかどうか、を以前指摘した。そうでないと、上掲宋儒のような、とんでもない高慢ちきに陥ることになる。だがそうかと言って、孔子を庶民である自分に都合よく解釈するのも誤りだ。

https://hayaron.kyukyodo.work/syokai/ganen/291.html

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