本日の改訂から

論語の本章は、論語雍也篇(27)とほぼ重複。「君子」と、「弗之畔」の「之」が無いだけ。つまりその分修辞が単純で、古い言葉に近いと思わせるのだが、雍也篇の方は定州竹簡論語にあるのに対し、本章は無い。焼けたり壊れたりしている可能性はあるが、無いものは無い。

今はただ、こちらの方が古いと思われるという感想を言えるに止まる。

https://hayaron.kyukyodo.work/syokai/ganen/293.html

論語の本章を、訳者は以前「成」を”言い立てる”と解し、「君子は人の美点を言いはやし、人の欠点を言いはやさない。小人はその反対」と解した。『春秋穀梁伝』の冒頭を踏まえたからである。

《春秋》成人之美,不成人之惡。

『春秋』は人の美を記し、人の悪を記さない。

だが穀梁伝も儒者のウンチクもしくは御託の一種であり、儒者の言説に従って論語を読んでいては、まるで孔子の肉声に迫れないと反省してこの解釈を取り下げた。『論語集釋』は、上掲穀梁伝の他に、前漢の劉向による『説苑』を引いて、この句が古くからの成語だとする。

魯哀公問於孔子曰:「吾聞君子不博,有之乎?」孔子對曰:「有之。」哀公曰:「何為其不博也?」孔子對曰:「為其有二乘。」哀公曰:「有二乘則何為不博也?」孔子對曰:「為行惡道也。」哀公懼焉。有間曰:「若是乎君子之惡惡道之甚也!」孔子對曰:「惡惡道不能甚,則其好善道亦不能甚;好善道不能甚,則百姓之親之也,亦不能甚。」《詩》云:『未見君子,憂心惙惙,亦既見止,亦既覯止,我心則說。』詩之好善道之甚也如此。哀公曰:「善哉!吾聞君子成人之美,不成人之惡。微孔子,吾焉聞斯言也哉?」

魯の哀公が孔子に尋ねた。「君子という者はもの知りではない、と聞いたが、その通りか?
孔子「その通りです。」

哀公「どうしてもの知りではないのだ?」
孔子「二つの掟があるからです。」

哀公「その掟とやらがあると、なぜもの知りではないのだ?」
孔子「悪事に手を染めることになるからです。」

哀公は聞いてぞっとして、おずおずと聞いた。「君子が悪事を忌み嫌うのは、そんなに厳しいのか?」
孔子「悪事を徹底的に嫌わないと、善事を徹底的に好めませんから。君子が善事を徹底できないと、庶民はなおさら善行に励みません。詩経に言います。

君子に出会うその前は、心静かでいられない。
君子に出会ったその後は、一緒に過ごしたそれからは、
心楽しく過ごせよう。

詩でさえここまで善事を好むのです。」

哀公が言った。「よろしい。私は、君子は人の美点を行い、欠点を行わないと聞いている。孔子がいなかったら、私はこの話を聞くことが出来なかっただろう。」(『説苑』君道5)

まったく同じ話が『孔子家語』にもあるのだが、これは作り話というものだ。少なくとも詩の解釈は、徹底的に帝国儒者風味の偽善的な曲解と言うべきで、「あなたに逢いたい」といい男を探す女性の歌なのに、「甚だしく善事を好む歌」などにされてしまった。

哀公に対する孔子の説教ばなしは、前漢も時代の下った『説苑』『孔子家語』には多数の例があるが、前漢初期の『韓詩外伝』には、事実上一話しかない。哀公はしおらしい孔子の生徒などではなく、呉国を背景にした孔子の帰国を迎えながら、呉国が没落すると左遷した。

だから孔子の死を看取った子貢が、哀公について「ろくな死に方をしねえぞ」(『史記』孔子世家)と、ちょっと殿様に対する物言いとは思えないほどの悪婆を放ったわけ。つまり哀公相手の説教ばなしは、前漢の儒者がこしらえたでっち上げである可能性が高い。

「君子成人之美、不成人之惡」という成句が、古くからあったのはおそらく史実だろう。だからといって論語の本章の解釈を、漢帝国の儒者風味に限らねばならない理由にはならない。もしかすると、孔子が言いだした、つまり本章こそが初出かも知れないからだ。

論語がどこまで古いのかは、各章ごとに議論百出で落ち着きどころが無い。だが甲骨文や金石文を除き、論語より先に書かれたと主張する書籍は全て、後世の偽作の疑いがある。従って異論は色々あろうとも、論語が中国最古の、本の体裁を取った古典と考えてかまわない。

https://hayaron.kyukyodo.work/syokai/ganen/294.html

読むそばから帝国儒者の作り事と分かる偽善で、ここまで馬鹿げていると、後漢儒者のしわざを疑いたくなる(→後漢というふざけた帝国)。現実政治家で亡命の苦労までした孔子の言うこととは思えない。君主が何もしなくとも、領民はそれぞれ好き勝手に生きるに決まっている。

質問者が哀公に代わっているのを議論する価値も無い。漢帝国の成立以降、どこかの儒者、おそらくは董仲舒あたりがこういうだじゃれを思いついて、孔子の口をこじ開けて、馬鹿げたことを言わせたのだ。聞き手が権力者でありさえすれば、儒者にとってはどうでもよろしい。

https://hayaron.kyukyodo.work/syokai/ganen/295.html

『論語集釋』に一部を引く戦国時代の竹簡『汲冢瑣語』に、次のような記述がある。

魯國多盜,季康子治之,獲一人焉。詰之曰:「汝胡以盜?」對曰:「此猶之蟻羶也,慕羶而附,寧可已邪?大夫為政,不能不盜,何以詰吾盜?柳下蹠,魯之民盜也,嘯聚其徒數千人,驪山之陽,抉人肝而食之,享年九十。而邑宰不得問也。子大夫陪臣陽貨,魯之家盜也。國命出其手,叛費,囚桓子,以意行國中自如,寶玉大弓,誰非先王所遺?子孫世守之謂。何今陽貨偃然竊以逋也?而子大夫不得問也?子大夫之家,魯之國盜也。名則魯臣,實魯君焉。國政為家事,國賦為家賦,藐然魯國如無有焉。而魯君不得問也。魯君,魯之大夫也,乾候之難,亦惟季孫意如之故,不得正其終。魯君靦然不斥季孫之立而以為身,則魯何以有王章也?逐一君,复易一君,而周天子不得問也。吾儕小人,其何知,知則於人而已矣。子大夫與吾儕小人,其俱負翳以謀朝夕耳,詰安用之?」康子曰:辨哉盜也!」去之,縶於獄中。

魯国に泥棒が出盛り、季康子が取り締まりに乗り出して、泥棒の一人を捕まえた。「何で泥棒など始めた?」

「アリが匂いにたかるのと同じです。旨そうな匂いが漂っているのに、盗らないわけに行かないでしょう? ご家老が政治を取るのも、泥棒ではありませんか。どうして尋問などなさる?

柳下蹠は盗賊団の親分で、子分は数千人と言いふらしていました。驪山の南麓では人の生きギモを取って食いながら、九十まで長生きしました。地元の代官も、とっ捕まえることが出来なかったからです。

ご家老の家来だった陽貨は、国営の盗賊だったではありませんか。国の命令で盗みを働き、費邑に立てこもって反乱を起こし、先代の季桓子さまを捕らえ、国の中で意のままに振る舞い、とうとう魯国伝来の宝石と弓を盗み出し、国外に逃げたではありませんか。国宝を守るのは国の務めでしょうに。陽貨は逃げおおせて、捕まりもしないでしょう? ひとえにご家老が、見逃しているからです。

つまりご家老は、国営盗賊の親玉です。立て前は魯国の臣下でありながら、実際は魯の国主に他なりません。国政を家事のように意のままにし、国税を勝手に着服しています。魯国などあっても、無いも同然です。それなのに殿様は、ご家老を問い詰めることすら出来ない。これでは殿様が、家老に成り下がったようなものです。

先々代の昭公様も、ご家老の先々代さまが国からいびり出し、まともな死に方すら出来ませんでした。それからというもの殿様は、ご家老のお家が言うままに立てられてきました。これでどこが、周王様の直臣ですか? 都合が悪くなると殿様を追い出し、都合のいい方にあとを継がせる。これも周王さまが、殿様やご家老を取り締まらないからです。

だからこそ私如きはこそ泥に過ぎませんが、盗みがいけないとかは知ったことではありません。そんな道徳は、お他人様が従えばよろしい。ご家老さまもこそ泥の私めも、どちらも朝晩後ろ暗い事をして生きているのです。問い詰められたって、言えることなどありません。」

季康子「減らず口の泥棒だな。」そう言って家来を呼び、牢屋にぶち込んだ。(『汲冢瑣語』巻末)

いずれ作り話には違いないが、どことなくこの泥棒、食い詰めたインテリのような気がしてならない。

https://hayaron.kyukyodo.work/syokai/ganen/296.html

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