本日の改訂から

論語の本章は、どうやっても「苟」が論語の時代に遡れないので、今後の考古学的発掘はあるにせよ、漢帝国の儒者による捏造と断じるしか無い。だが本章の創作によって、儒者が何か得をするとは思えないし、論語の時代に存在しないのは「苟」だけだから、不可解ではある。

さて儒者が注釈と称して、ただの感想文を論語の書き付けた例をこれまでいくつも記したが、本当に感想文のつもりで書いた感想文もありはする。『論語集釋』では自分の言葉で感想を記す代わりに、前漢・劉向の『説苑』を引用している。

智襄子為室美,士茁夕焉,智伯曰:「室美矣夫!」對曰:「美則美矣,抑臣亦有懼也。」智伯曰:「何懼?」對曰:「臣以秉筆事君,記有之曰:高山浚源,不生草木,松柏之地,其土不肥,今土木勝,人臣懼其不安人也。」室成三年而智氏亡。

劉向
晋の智襄子が立派な部屋を造り、家臣の士サツが夕方の挨拶にやって来た。智伯「どうだすごいだろう。」
士茁「すごいはすごいですが、私は心配です。」
智伯「何がじゃ?」
士茁「私は殿の書記を務めておりますが、こう書いたことがあります。”高すぎる山や深すぎる水には、草木は生えず、神聖なマツやヒノキの林は、土地がやせている”と。今このように立派過ぎる建築を行ったことは、家臣を務める者としては、不安でたまらないのです。」

果たして完成の三年後、智氏は滅びた。(『説苑』貴徳28)

https://hayaron.kyukyodo.work/syokai/siro/310.html

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