本日の改訂から

上記の検証にかかわらず、本章は孔子の発言ではあるまい。身を正す=修身が治国の道だと言い出したのは、前漢代に成立した『礼記』の大学篇であり、「修身斉家治国平天下」という儒教スローガンを作りだした。身を修めて、家を整えて、国を治めて、天下を平らげるの意。

しかも定着するのは明代以降である。これは科挙の試験科目が、明代から論語と孟子、それから『礼記』の一部分である「大学」と「中庸」になったからで、現伝儒教が「修身」をうるさく言うからと言って、それが孔子の教説である保証は全くない。

孔子から一世紀後の孟子でさえ、修身をご大層に説いていない。

「古之人,得志,澤加於民;不得志,脩身見於世。窮則獨善其身,達則兼善天下。」

昔の人は、運がよければ民草に恵みを垂れ、悪ければ磨いた人格を世間の見せ物にする。金詰まりの時は一人で修行し、悟れたら天下をよくしようとする。」(『孟子』尽心上9)

『論語集釋』を引いても、本章に関しては呆れるほど記述が少なく、半ページしかない。論語と聞けば砂糖にたかるアリのように、どうでもいいウンチクをくどくど垂れたがる儒者も、さすがに本章の余りの絵空事に、何か書く気にならなかったのだろう。もっともな判断だ。

また本章は、論語顔淵篇16論語子路篇6、とそっくりでもある。

季康子きかうしまつりごと孔子こうしふ。孔子こうしこたへていはく、せいせいなりひきゐるにただしきをもちゐば、たれあへただしからざらむ。
いはく、ただしからば、おきてずしおこなはす。ただしからざらば、おきつといへどしたが

このうち前者は文字史的に後世の偽作が確定し、後者も絵空事がひどくて孔子の発言とは思えない。本章同様、為政者が人格者だからと言って、民草が大人しく言うことを聞くわけがない。本章も同様で、為政者が人格者だからといって、政治がうまく回る道理が無い。

だが儒者は、そうでないと言い張った。宋儒・王応麟の言い分。

申屠嘉不受私謁,則可以折幸臣;董仲舒正身率下,則可以事驕王。魏相以廉正,霍氏不能誣;袁安、任隗以素行,竇氏無以害。故曰:「其身正,不令而行。苟正其身矣,於從政乎何有?」

前漢の宰相、申屠嘉は、個人的な頼みを受け付けなかったから、皇帝の周りにいたおべっか者を追い払えた。儒教の国教化を唱えた董仲舒は、居住まいを正して下っ端儒者を率いたから、暴君の武帝に仕えることができた。魏相は清潔な名知事だったから、権臣霍光の粛清を逃れた。後漢初期の名奉行袁安と、名臣任隗のコンビは、行いが立派だったので、権力を握った外戚の竇氏も手が出せなかった。だから「その身正しからば…。」と論語に書いてある。(『困学紀聞』巻七57)

これはアルビノのカラスばかり集めてきて「カラスは白い」と言い張るたぐいで、清潔で剛直なのに無実の罪で死に追いやられた人間の方がむしろ多い。王応麟はすでに科挙に通っておきながら、誰も受験者がいなかった科挙の博学宏辞科=もの知り科を受け直して通った男。

つまり同時代の中で群を抜いて読書しており、記憶力も抜群なのは間違いないのだが、中国のインテリ特有の弱点、つまり数理的論理にからきし弱い。だからインテリ儒者も今日的基準で言えば、せいぜいソーケーあたりの私立文系バカでしかなく、ものの役には立たない。

その一つの表れが、本章の後半にある「人を正す」。観測された環境に合わせて手段を変えるのが科学技術なら、頭で決め付けたことを環境に強要するのが宗教というもので、だから権力を伴った宗教は、必ず火あぶりを始める。自分の足下を軸に地球が回ると思っているのだ。

中国の救いの無さは、こうした宗教帝国が二千年以上続いたことで、その教義は共産主義に置き換わって現在も続いている。看板は変わったが、権力が全ての事実に優先するという社会のありようはまったく同じで、ただ皇帝に当たる最高権力者が世襲でなくなったに過ぎない。

だから現代中国のことばかりいくら知っていても、全然中国が分からないわけだ。半可通や財界人や理系アホウが中国の「合理性」「先進性」を讃えるのを聞くたび、発言者が幼稚に見えてならない。今の姿だけ見て将来が分かるなら、誰も相場で損などしないだろうに。

博奕で銭が稼げるなら、どの国も苦しむ財政破綻など、この世に起きるわけが無いだろう。というより、相場そのものが成立するまい。ともあれ、「権力が全ての事実に優先する」社会が続く限り、中国を知るには過去を知らねばならず、漢籍を読む動機も無くならないだろう。

https://hayaron.kyukyodo.work/syokai/siro/315.html



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