本日の改訂から

論語の本章もまた偽作の可能性が高い。となると戦国時代以降の儒者が、孔子と冉有の間にいざこざがあった、と言い立てたことになる。かつて孔子を押し上げる原動力の一つとなった冉氏だが(→孔門十哲の謎)、戦国時代にどこで何をしていたかは分からない。

ただし、冉氏がその武力を提供した季孫家は、戦国時代には魯から独立して諸侯の仲間入りを果たしている(→費国)。ただしこれは自己防衛のためで、魯の穆公が親政を開始して門閥三家老家=三桓を圧迫したためで、叔孫家と孟孫家は斉に逃亡、季孫家は独立を選んだ。

もっとも、孔子の晩年にはすでに、季孫家は独立の意志を持っていた史料がある。

齊人伐魯,而不能戰,子之恥也,大不列於諸侯矣。

(斉が攻めてきた。出陣を拒む季孫家当主・季康子に冉有が言った。)「斉が我が魯に攻め込んできたというのに、戦えないというのでは、あなたの恥ですぞ。これでは諸侯に昇格することなどとても無理ですね。」(『春秋左氏伝』哀公十一年)

つまり冉有は、季康子が独立したがっているのを知っていたことになる。となると季孫家と共に一族の地位向上を図っていた冉氏は、穆公の親政(BC415)の後、季孫家と行動を共にしたのではないか。孟子が生まれるのはそのあとだが(BC372)、何かを知っていた可能性がある。

https://hayaron.kyukyodo.work/syokai/siro/316.html



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