本日の改訂から

そもそも人が複数集まれば、個別の能力について優劣が出るのは当たり前で、いちいち見下していては集団生活が成り立たない。それは孔子も心得ていて、心得ていなかったのは後世の威張り返った儒者官僚である。二つの証拠を挙げよう。

孔子將行,雨而無蓋。門人曰:「商也有之。」孔子曰:「商之為人也,甚恡於財。吾聞與人交,推其長者,違其短者,故能久也。」

孔子が出掛けようとすると、雨が降り出したが傘が無い。門人が「子夏の傘を借りては」と言うと、孔子は言った。「子夏は物惜しみする性格だ。やめておこう。ほれ、世間でも言うだろう、人と付き合うには長所だけに目をとめ、短所には目をつぶるものだ、だから付き合いが長続きする、と。」(『孔子家語』致思15)

有鬻乾柿者。一士見之。連取食二杖。又欲舉手。鬻柿者慍曰。相公各要尊重。士復取一杖。且行且頋曰。你不知。此物甚能清肺。

乾し柿売りが店を開いていると、儒者がやって来ていきなり二つを盗って食い、食い終わってまだ盗ろうとする。乾し柿売りが怒って、「旦那、ご身分をわきまえなさい」と言うと、儒者はまた一つ盗って食いながら、すたすたと行ってしまう。振り返って言うことには、「お前なんぞは知らないだろうが、これはとても肺を清める(頭が良くなる)ものなのだ。」(『笑府』巻十二・柿)

『笑府』が書かれたのは明代(1368-1644)で、論語の本章の成立がそこまで下がるわけはない。おそらく本章の成立は戦国時代だろうが、孔子が”劣りとも付き合っていた”こと、後世の儒者が無意識に、学のない者を差別している事が見て取れる。

これは現代の学歴差別にも見られる事で、自分の学歴を鼻に掛けて、無意識に人を憤慨させる馬鹿者は珍しくない。勝手にひがむ者もいるにはいるが、ひがみ者が意識的にひがむのに対し、差別する者は自分が相手を人間扱いしていないことに、全く気が付かない。

こうした差別を儒教に持ち込んだのは戦国時代の孟子だが、孔子にはそのような馬鹿げたことをしている余裕は無かった。何せその志望は、差別の撤廃だったからである。春秋時代の身分差別を乗り越えて、弟子を貴族に押し上げる。それが孔子塾だった。

https://hayaron.kyukyodo.work/syokai/gakuji/008.html

論語の本章の偽作を疑うのは、孔子の論旨が儒者官僚にとって都合が良すぎるためで、臣下をいたぶらず慎み深くあれという。これは「天人感応」=君主が悪政を行うと天罰が下る、と主張した、前漢の董仲舒の言いそうなことで、暴君武帝にほとほと苦労したからでもあろう。

だがひとたび聖人の言葉として固定化されると、通時代的に「為君難」は君主の心得とされた。もちろん知らんふりして暴虐を事とした君主は絶えなかったが、一応官僚側にも抵抗の根拠が与えられたことになる。中には清の雍正帝のように、座右の銘にした君主も現れた。

https://hayaron.kyukyodo.work/syokai/siro/317.html



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