本日の改訂から

ローマ史で移動の自由がないコロヌスが成立し得たのは、コンスタンティヌス帝の強権あればこそで、逃亡コロヌスだけでなく、かくまった者を罰することが出来たからだ。だが春秋戦国の中国はそうでない。諸侯も領主も、逃亡してくる者を大いに歓迎し、かくまった。

それは技術的制約からであり、エンジンのない古代では人とは国力そのもので、医学も未発達だから、領民だけをタネにちまちま人口を増やそうとしても合理的ではない。従って時にはいくさに訴えて、隣国から民を拉致するように連れてくることもあった。

逆に、連れ去られた者を取り戻す法まであった。

魯國之法,魯人有贖臣妾於諸侯者,皆取金於府。子貢贖人於諸侯,而還其金。孔子聞之,曰:「賜失之矣!夫聖人之舉事也,可以移風易俗,而教導可以施於百姓,非獨適身之行也。今魯國富者寡而貧者眾,贖人,受金則為不廉,則何以相贖乎?自今以後,魯人不復贖人於諸侯。」

論語 子貢 糸引き
魯国の法では、魯国人でありながら他国で奴隷に身を落とした者を、連れ戻すための代価は、政府が支給することになっていた。だが富豪の子貢は、ある奴隷を他国から買い戻したとき、給付金を返納した。孔子がそれを聞いて言った。

「子貢よ、それは間違いだぞ。聖人=万能の人(魯国の開祖、周公旦を指す)が法を定めたわけは、民百姓の習俗を改善し、何が正しいのか教え諭すためで、自分さえ格好が付けばそれでいい、というものではない。今の魯国では没落する富豪が多く、貧乏人が増えている。人を買い戻した代金を政府から貰ったとて、それを図々しいと非難されるようでは、買い戻すことが出来なくなるぞ? 今後、お前のやったことが世間の常識になってしまえば、魯国人は同胞をどうやって買い戻したらいいのだ。」(『孔子家語』致思18)

孔子家語が王粛の偽作であると言うのは清儒の誣告だが、それでもこの話には実は怪しいところがあって、論語の時代で実在が確認できない「金」が出てくる。だがこの一字に目をつぶって、何かしらそのような制度があったのだろうと断じてここに記すことにした。

ともあれ洋の東西を問わず、奴隷にされるのは戦時捕虜か、債務奴隷か、人狩りに遭った異民族である。論語の時代は前代の殷と異なり、人狩りの形跡はか細い。理由は一つに、周代では生け贄が廃れたからだが、捕虜や債務奴隷は存在した。経済発展中の乱世だったからだ。

https://hayaron.kyukyodo.work/syokai/siro/318.html

なお子夏はおとなしいと言っても、そこは春秋時代の君子であり、孔子と次のような物騒な問答を交わしている。

子夏問於孔子曰:「居父母之仇如之何?」孔子曰:「寢苫枕干,不仕,弗與共天下也。遇於朝市,不返兵而鬭。」曰:「請問居昆弟之仇如之何?」孔子曰:「仕弗與同國,御國命而使,雖遇之不鬭。」曰:「請問從昆弟之仇如之何?」曰:「不為魁,主人能報之,則執兵而陪其後。」

論語 子夏 和み 論語 孔子 キメ
子夏「親の敵討ちにはどうすればいいですか。」
孔子「市場の近くで小屋がけし、楯を枕に寝なさい。仇を生かしておいてはならない。そ奴がノコノコと市場にやって来たらその場で討ち果たし、家に武器を取りに帰って取り逃すことのないように。」

子夏「兄弟の敵討ちにはどうすればいいですか。」
孔子「仕官してもいいが、仇と同じ国に仕えてはならない。もし君命で仇と顔を合わせることがあっても、我慢して打ちかかったりしないように。」

子夏「いとこの敵討ちにはどうすればいいですか。」
孔子「自分から打ちかかってはならない。もし主人が仇を討つなら、その時は武器を取って主人の助太刀をしなさい。」(『孔子家語』曲礼子夏問1)

https://hayaron.kyukyodo.work/syokai/siro/319.html



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