本日の改訂から

不如鄕人之善者好之、其不善者惡之。

この部分の構造は以下の通り。

子貢曰 孔子曰
郷人皆 好之 不如 郷人之善者 好之
悪之 其(=郷人之)不善者 悪之

従って「村の人気者」<「善人の人気者」かつ「村の嫌われ者」<「悪党の嫌われ者」と言っているのであり、「村人を一緒くたにして判定しないで、ちゃんと場合分けしなさい」と子貢に説教したわけ。孔子の論理性は、当時の水準から群を抜いていたことが分かる。

従って従来訳や中国での解釈例が言う、”土地の善人にほめられ、悪人ににくまれるような人が、一番りっぱな人なのだ”は誤り。これらは新注の受け売りでもある。

新注『論語集注』

一鄉之人,宜有公論矣,然其間亦各以類自為好惡也。故善者好之而惡者不惡,則必其有苟合之行。惡者惡之而善者不好,則必其無可好之實。

論語 朱子 新注
ある村にはその村なりの共通見解があるが、村人それぞれの好みは分かれる。だから善人に好かれて悪党が憎まない者は、たまたま村人の人気を得ているに過ぎない。悪党が嫌って善人が好まない者も、好かれる理由がないに過ぎない。

村の善人 村の悪党 朱子の見解
好き 嫌いでない 則必其有苟合之行
=仮善人。きっとたまたま受けのよいことをしただけ
好きでない 嫌い 則必其無可好之實
=仮悪党。きっと好きになる理由が無いだけ

言い方が回りくどいが、朱子の挙げた人物はいずれもかりそめの人気者や嫌われ者であり、これを敷衍すれば、「善人に好まれ悪党に嫌われるのが真の善人だ」ということになろうか。善悪判定のスイッチは、村の善人の好意と同列になり、悪党の嫌悪の反対であるようだから。

ただし好きの反対は「無関心」であり、必ずしも「嫌い」ではない。からきし数理的論理の出来ない儒者に、そこまでの考えがあったかどうか。

現代中国での解釈はまるきり新注のコピペだが、従来訳は下村先生の判断がいくぶん加わっているのか。先生が新注を読めなかったとは思いたくない。ただし好きの反対は無関心で、必ずしも「嫌い」ではない。数理的論理の出来ない儒者に、そこまでの考えがあったかどうか。

その証拠か、古注に至ってはどうでもいいことしか書いていない。

註孔安國曰善人善己惡人惡己是善善明惡惡著也

孔安国
注釈。孔安国「善人は自分をよくする。悪党は自分を悪くする。善行はますます善を輝かせ、悪行はますます悪を目立たせる。(『論語義疏集解』)

バカでも言えることである。他にもっとましなことが書けなかったんだろうか。


清儒の宦懋庸は、それに即したことを書いている。

村人は他人の公的な行動を見て善悪の評価をしているのであり、皆が善人だと褒める者は、一国単位でもそういう者が出得る。だが一国の人間の好悪は、時によってコロコロ変わって信用ならない。田舎の村人ではなおさらではないか。

子貢の誤りは、安易にスパリと二分したがるところにある。善人はよい、悪党は悪いというが、その中間にこそ実は賢者がいたりするのだ。田舎者のたわごとを真に受けて、決めつけてしまってはものが見えない。(『論語稽』巻五92)

https://hayaron.kyukyodo.work/syokai/siro/326.html

上記の検証にかかわらず、本章はおそらく史実ではあるまい。「也」を詠歎に読むのはいかにも苦しく、そして文の構成が整いすぎており、肉声とは思えないからだ。初期仏典にも見られる事だが、同じ骨組みに反対の概念を組み合わせた修辞は、むしろ読誦するのに向いている。

また論旨が、儒者官僚にだけ都合のいい話で、要するに仕事が出来なくても、給料を寄こせ、ワイロを見逃せと言っている。「なぜ卿は仕事をせぬのだ」という皇帝に対し、「そういうのを求めるのは小人のすることだ、と孔子様が仰ってます」と言い訳するタネを作ったのだ。

加えて、詰まるところ君子は偉く小人は下らないと言っている。だが小人の蔑視は孔子より百年後に、孟子が君子に”教養ある人格者”という語義を加えてからのこと。孔子の生前は徹頭徹尾、君子とは貴族であり、小人とは庶民や凡人を言い、区別はあっても差別はない。

孔子曰:「吾有所恥,有所鄙,有所殆。夫幼而不能強學,老而無以教,吾恥之;去其鄉,事君而達,卒遇故人,曾無舊言,吾鄙之;與小人處而不能親賢,吾殆之。」

論語 孔子 ぼんやり
孔子「私には、恥ずかしく思うこと、卑しく思う事、危ないと思うことがある。若いうちから勉強に励まなかったのは、恥だと思う。田舎から出てきて主君に仕え、出世した頃に郷里の人と出会ったとき、昔通りに優しくしないでふんぞり返るような行いを、卑しいと思う。小人と一緒にいる時に、その中でも偉い人を見出して親しめないのを、危ないと思う。」(『孔子家語』三恕7)

重複を恐れず記せば、孔子家語の王粛偽作説は清儒の冤罪であり、時に論語を訂正する根拠となり得る。「」「」は論語の時代に存在しないが、「」”はじ”「台」は存在し、「台」に”おそれる”の語釈を『大漢和辞典』が載せる。

つまり孟子や後世の威張り返った儒者のように、庶民を「小人」と頭から小ばかにしていると、とんでもない目に遭うぞ、と孔子は言っているのであり、身分に拘わらず偉い人は偉いと認めよう、そういうごく当たり前の事を言っている。

そもそも孟子以降の儒教は諸侯をたぶらかすための絵空事であり、帝国儒教は人々をクルクルパーにして従わせる洗脳術で、ありもしないことを事実だと言い張るところに宗教性がある。孔子の教説を儒学というなら、それはまだ宗教性を帯びず、きわめて現実的な技術だった。

論語の前章のように、人を一絡げにせず場合分けして観察しろというのもその一つだが、本章は初めから小人を見下げて顧慮しない。つまり無視して考えない。それでは行政官として差し支えるし、そもそも塾生の九分九厘は小人の出身で、孔子自身も小人に生まれた孤児だった。

孔子は巫女の母のかたわらで、小人が馬鹿げた宗教的仕草にどれほど怯えるか見続けて来ただろうが、だからといって小人を舐め切ることはしなかった。小人はひとたび敵に回すと恐ろしい集団であることを、弟子の子貢にも説いている(論語顔淵篇7)。

https://hayaron.kyukyodo.work/syokai/siro/327.html

何を言っているかさっぱり分からない。もちろん古典中国語としての文意は理解できるが、何故にそう言えるか一切言っていない。だがそれだからこそ、論語の本章を理解するよすがになる。要するにこれが「意あり必あり固あり我あり」なのだ。

中国人は太古の昔から、正しいことの証明を客観的、つまり我欲を持つ豳源から切り離して考えようとはしなかった。だからこそ古代文明を誇りながら、数理的能力はさっぱりなままだったし、今なお党が決定すれば、カラスは真っ白になり、疫病も疫病でないことになる。

要するに正しさの証明を、言い出した者の権力によって決めるから、いつまでたっても幼稚な模倣物しか作れない。もちろん故宮所蔵の象牙のカーペットなど、とんでもなく精巧な職人芸はあっても、数理に基づく科学技術は、相変わらず外国から盗んでくるしかないのだ。

孔子が古代人らしからぬ無神論に到達したのは、弟子にとっては驚天動地のことで、だから論語の本章のような回想が、弟子によって記された。だがその教説を理解できたのはせいぜい直弟子までで、後世の儒者は元の木阿弥となって、わけワカメなことを書くしかなかったわけ。

これが新注になると、数理的迷妄に黒魔術が付け加わる。

https://hayaron.kyukyodo.work/syokai/sikan/209.html

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