本日の改訂から

論語の本章は、偽作した漢帝国の儒者官僚にとって無関係に見えてそうでない。行政手続きを煩雑化することが、彼らに職を与えることになったし、細かな権限の分割は、それぞれの役人に収賄の機会を与える。例によって本章も、俺たちにいい思いをさせろ、と言っている。

中国人の信じがたく度しがたい福禄寿第一主義と、その結果世界中にまき散らされた不幸と悲惨を思うと、こうした中国役人の悪辣はどれだけ強調してもし過ぎることは無い。だからと言って中国人を劣等に見ろと訳者は言わない。恐れ、よく知ることが必要であると言いたい。

それは次に記す、子産について孟子が伝えた伝説にも現れている。

昔者有饋生魚於鄭子產,子產使校人畜之池。校人烹之,反命曰:「始舍之圉圉焉,少則洋洋焉,攸然而逝。」子產曰「得其所哉!得其所哉!」校人出,曰:「孰謂子產智?予既烹而食之,曰:得其所哉?得其所哉。」故君子可欺以其方,難罔以非其道。彼以愛兄之道來,故誠信而喜之,奚偽焉?

孟子 論語 鄭子産
むかし鄭の子産に生きた魚を贈った人がいて、子産は池の番人に渡して飼うよう命じた。ところが番人が勝手に煮て食ってしまい、子産にはこう言った。「あの魚、はじめは弱っておりましたが、池に放つと元気になりまして、余裕たっぷりに逃げてしまいました。」

子産「なるほどなあ。居るべき場所に帰ったんだな。」
番人は子産の前を引き下がって言った。「旦那様はタワケじゃな。もう食っちまったのに。”居るべき場所”とか言って感心してなさる。一体どこが賢者なのかね?」

つまりだ、立派な教養人でもこうやって欺されることはある。だがその性根を悪に染めることは出来ない。好意を持って近づいてくる人には、こちらも誠意で向き合うべきだ。どうして疑う必要があろう。(『孟子』万章上2)

中国の回し者になっているえせリベラルの特徴として、中国を善と見なすとともに、二言目には差別を言い立てる。だが連中こそが真の差別主義者で、無意識に中国人を下に見ている。無意識の差別こそが真の差別で、だからこそ、中国の恐ろしさが分からない。

コロナにでもやられて死を前にしない限り、所詮他人事だからだ。耳を貸してはならない。

https://hayaron.kyukyodo.work/syokai/kenmon/341.html

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