本日の改訂から

孔子はめったに人を仁者と呼ばず、論語時代人では顔淵だけ、歴史人物では伯夷・叔斉兄弟と(論語述而篇14)、殷の王族微子・子・比干だけだった(論語微子篇1)。そしてどのような意味で「仁」を用いているかで、本章の真偽が判断される。

論語の本章とどちらが元ネタか判じがたい別伝がある。

子路問於孔子曰:「管仲之為人如何?」子曰:「仁也。」子路曰:「昔管仲說襄公,公不受,是不辨也;欲立公子糾而不能,是不智也;家殘於齊,而無憂色,是不慈也;桎梏而居檻車,無慚心,是無醜也;事所射之君,是不貞也;召忽死之,管仲不死,是不忠也。」孔子曰:「管仲說襄公,襄公不受,公之闇也;欲立子糾而不能,不遇時也;家殘於齊而無憂色,是知權命也;桎梏而無慚心,自裁審也;事所射之君,通於變也;不死子糾,量輕重也。夫子糾未成君,而管仲未成臣,管仲才度義,管仲不死束縛而立功名,未可非也。召忽雖死,過於取仁,未足多也。」

論語 子路 孔子
子路「管仲とはどんな人ですか?」孔子「仁の人だな。」

子路「管仲ははじめ斉の襄公に進言して相手にされませんでした。人を見る目がありません。公子糾を跡継ぎに立てようとして失敗しました。能なしです。亡命して斉に残された家族は皆殺しになりましたが、平気な顔をしていました。愛情がありません。捕まって檻に入れられても、平然としていました。恥を知りません。自分が矢を射かけた桓公に仕えました。節操がありません。召忽が殉死したのに、自分は生き残りました。忠義がありません。」

孔子「襄公に説いて聞き入られなかったのは、襄公がバカ殿だったからだ。公子糾の擁立に失敗したのは、運が悪かったからだ。家族に涙しなかったのは、自分の使命を知っていたからだ。檻に入れられて平気で居たのは、自分で自分を裁いていたのだ。射かけた桓公に仕えたのは、世の変転に通じていたからだ。公子糾に殉じなかったのは、事の軽重を知っていたからだ。

そもそも公子糾は即位しておらん。だから管仲も忠義立てする理由がない。管仲の才能は、何を成すべきかを知るに十分であり、死なずに縄目を受けたが功績も大きかったから、殉死しなかったのをとがめるには及ばない。召忽が殉じたのはやり過ぎの仁と言うべきで、褒め讃える程のことではないな。」(『孔子家語』致思9)

子路と孔子が挙げた仁の要件は、貴族としての仁者を思わせる箇条もあるが、「忠義」を持ち出していることから、この別伝は戦国時代以降の創作と分かる。召忽を「やり過ぎの仁」と断じたのもそれに添う判断で、論語の本章の解釈に示唆を与える。

すなわち本章は、殉じたかどうかで召忽と管仲を対比させており、つまり焦点は忠義と思われる。すると本章もまた戦国時代の創作となり、文中の「也」も断定として解釈して構わないことになる。

また別伝は、”即位しなかった公子糾に、臣下としての忠節を尽くす必要は無い”と、まるで悪徳弁護士のような詭弁を弄しており、孔子の発言とは信じがたい。こんな詭弁を弄する師匠に、大勢の弟子が死の危険さえあった放浪に同行するとは思えないからだ。

そこで論語の本章に視点を戻すと、別の者が召忽殉死時点での管仲を”まだ仁者でなかったのか”と問うたのに、孔子は管仲が桓公の覇業を達成した後の事を持ち出して、仁者であると断じている。理路整然とした孔子の頭脳にあるまじき言いくるめで、孔子の発言ではないだろう。

そして孔子の後継者である孟子は、並みの褒め方でしか管仲を扱っておらず、次いで荀子は一層高く管仲を評価した。従って論語の本章も別伝も、その成立は戦国時代も末になってからで、おそらくは漢儒による作文だろう。

政治の全てを任せた桓公と、好き放題に政治をいじった管仲は、帝国儒者の憧れだったからである。

https://hayaron.kyukyodo.work/syokai/kenmon/349.html

論語の本章も前章同様、政治の全てを宰相に任せた桓公と、宰相として好き放題に政治をいじくれた管仲の君臣コンビをあこがれた、漢帝国の儒者の願望を、勝手に論語に書き加えたに過ぎない。論語の贋作に見られる特徴、長い・他章で不使用の漢字がある・孔子の頭が悪い、を伴ってもいる。人文的に頭が悪いとは、人が悪く、相手を打ち負かそうとし、言い逃れる、という特徴を言う。ものの分かった人は、分かっているからこそ人がいいのである。

https://hayaron.kyukyodo.work/syokai/kenmon/350.html

蛇足ながら日本でのフランス観は「おフランス」と言うぐらいよろしいのだが、その本質は日本以上に官僚が威張っている陰険な警察国家だ。戦前の日本で横暴と残虐の限りを尽くした憲兵と特高は、フランスの制度に倣っている。

だが本家は敗戦を経ていないので、今でも町中に憲兵がうろついている。これは官僚天国であり続けている、過去と現在の中国に似ているし、どちらも夜郎自大な中華思想を共有している。フランス人の抜けがたい人種差別は、こういうサド体質から生じた病気に他ならない。

論語憲問篇15付記でジャック=ラカンをクズと断じたが、その理由の一つは、高等師範学校を出るとすぐさまパリ警視庁に就職したあたりから始まっている。いろいろと真っ赤なことを言い回りながら、当人は神父だった弟の伝手で、ローマ法王との謁見を熱望したらしい。

権威主義は人を不幸にする。フランスも中国も、日本でもそれは変わらない。

https://hayaron.kyukyodo.work/syokai/kenmon/351.html

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