本日の改訂から

さて論語の本章の論旨だが、イスラエル国会の規程で、全会一致は廃案になると聞いたことがある。その真偽は分かりかねるが、なるほど苦労した人の多い国の制度だけはある、と感心した。赤色風味の国で、独裁者が拍手し拍手されながら議場に迎えられる茶番劇との対照だ。

そういうのが好きなえせリベラルや頭の赤い連中は、我が国の国会で見られるような、「何でも反対」をやりたがる。国会だけでなく、ありとあらゆる組織でやる。あれは幼稚な承認欲求だと昔は思っていたが、アカと仕事をした経験から言うと、ただの駄々こねではないようだ。

いかなる改善策や合理化案にも反対するのは、自分も既得受益者ゆえに、改革で取り分が減るから、もう一つは改革の後は勤勉と順応性が試されるので、普段偉そうに能書きを垂れている、自分の無能がバレるからだ。だから幼児と言うより、昆虫に類する合理性の発露だ。

概してその手の連中は学歴が高かったり、難しい資格を持っていたりするが、他人に説教するのは好きだが仕事が嫌いな者が大半で、嫌いゆえに仕事が出来るはずも無い。一時的な技能の証明に寄りかかる者は、証明書発行直後から、すさまじい無能と化す事例が非常に多い。

要するに、連中なりの生存競争だったのだ。これはアカだけでなく役人一般にも共通する性癖で、その性癖は日本では赤色の強い政党ほど保守的であると言う珍妙な現象に現れているし、赤色の強い国ほど役人が威張って特権階級になり果てている事実にも合致している。

つまり論語の本章は、馬融のようなただのワイロ取りに対する、きつ~いお説教だったのだが、あまりに頭の悪い馬融とその引き立て役は、何を言われているかすら分からないので、勝手に論語を書き換えたわけ。仮に「乍」の字だったと知らなくても、それは同じだ。

「怍」とは上記の通り、顔色が変わるぐらいの「まずいかも」との思いを言う。つまり安易な引き受けは安易に出来るからかまわないようなものの、危惧を抱かず安易なことばかりやっている集団に、既存の貴族層へ割り込んでいくことは出来ない、ということ。

それずら気付かない馬融のお花畑を、後生大事に有り難がっている日本の漢学教授のほとんども、ただ威張っているだけで勉強も研究も教育もしない、ワイロ取り専業の役人に近い生き物だから、本章に何が書いてあるか分からなかった、いや、知ろうとは思わなかったのである。

https://hayaron.kyukyodo.work/syokai/kenmon/353.html

閲覧者諸賢、思ってもみられよ。明治帝政が「テンノーは神様じゃ」というオカルトを公認し、内村鑑三不敬事件のように社会に強要した結果、アメリカと戦争するなどという𠮷外沙汰を止める、まともな言説を全て封じた。後漢帝国を想像するのは、さほど難しくはない。

https://hayaron.kyukyodo.work/kaisetu/kyoutou_oroka.html

論語の本章は、孔子が春秋時代の身分秩序を重んじ、下剋上を嫌ったという空想を証拠立てるため、前漢帝国の儒者がこしらえたでっち上げ。社会の底辺から一国の宰相になった孔子こそが、論語時代の秩序を破壊した最大の象徴的存在である事実を、誤魔化そうとしたわけだ。

理由はもちろん儒者が官界でのさばるためで、孔子がやったことから出来上がる危険思想を、顧客である前漢の皇帝に悟られると、大変に都合が悪かった。なお高校世界史教科書にいわゆる、漢帝国による儒教の国教化というのは、半ばウソである。

武帝は祖母などの道教マニアから受けた幼少期のいじめが忌まわしかったから、成人後に反発して儒教に走ったに過ぎない。つまり皇帝の個人的趣味で、代が代わると宣帝は、「儒者という役立たず」と公言しており、儒家以外の学派も政界官界に、一定の力を持っていた。

https://hayaron.kyukyodo.work/syokai/kenmon/354.html

後世の儒者がモクモクと焚き上げた煙幕のせいで、子路は孔門の筋肉ダルマ、ただのおバカと思われがちだが、その実態は一門きっての腕利き行政官で、弟子の中で国公に次ぐ身分である卿に上ったのは、アキンド子貢を除けば子路しか史料に記載が無い(→孔門十哲のなぞ)。

もちろん論語の時代の君子=貴族とは、戦時に戦士を兼ねる以上、子路が武芸達者だったのは間違いないが(→論語における君子)、亡命中の孔子一行に目を付けて、衛の霊公が子路に与えたのは将軍職ではなく、面倒くさい住人の住む、のまちの領主だった(→史記弟子伝)。

蒲の代官(宰)ではなく領主(大夫)だったことから、霊公の期待が窺われる。そして霊公はやはり儒者の煙幕によって、下半身にだらしないヒヒじじいと思われているがそれは間違いで、大国・晋がガリガリと領土を削り取りに来るのによく対抗した、やり手の君主である。

どのようにやり手だったかは、この論語憲問篇20にある通り。

論語 孔子 悩み 論語 季康子
孔子「まったく衛の霊公さまは無茶苦茶な殿様で、困ったものでしたよ、本当に。」
季康子「フフフ。そんな暗君なら、なぜ衛国は滅ばない?」

孔子「家臣の出来がよかったからですよ。孔圉どのが外交を、祝鮀どのが祭祀を、王孫賈どのが軍事を司っていました。これで国が滅んだら、不思議というものです。」

孔子が「無道」=無茶苦茶と霊公の悪口を言ったのは、最初の衛国滞在の際、政府乗っ取りを謀って追い出されたからで(→史記孔子世家)、無道というなら孔子の方が無道だろう。それはさておき、霊公の政治手法は家臣の上手な使い方で、別伝にもそれが記されている。

衛靈公問於孔子曰:「有語寡人曰:有國家者,計之於廟堂之上,則政治矣。何如?」孔子曰:「其可也。愛人者,則人愛之;惡人者,則人惡之;知得之己者,則知得之人。所謂不出環堵之室而知天下者,知及己之謂也。」

論語 衛霊公 論語 孔子
霊公「ある男が、”国君たる者、ごじゃごじゃと指図せず、祖先祭殿の前ででんと構えて見張っていれば、それで政治は回ります”と言った。そなたはどう思うかのう。」

孔子「その通りと存じます。人を愛する者は愛され、憎む者は嫌われます。自分に何が出来るか知る者は、他人に何が出来るか分かるものです。だから”奥座敷に座ったままで、天下の出来事を手に取るように知る”と言うのです。自分を知る者だからこそ出来る芸当です。」(『孔子家語』賢君10)

このやり手、霊公の見込んだやり手の子路は、みごと期待に応えて蒲のまちを治めきった。その赴任に当たって、孔子と交わした問答と思われる一節が、別伝に伝わっている。

子路將行,辭於孔子。子曰:「贈汝以車乎?贈汝以言乎?」子路曰:「請以言。」孔子曰:「不強不達,不勞無功,不忠無親,不信無復,不恭失禮。慎此五者而已。」子路曰:「由請終身奉之。敢問親交取親若何?言寡可行若何?長為善士而無犯若何?」孔子曰:「汝所問苞在五者中矣。親交取親,其忠也;言寡可行,其信乎;長為善士而無犯於禮也。」

論語 子路8 孔子
子路は赴任するに当たって、孔子に別れの挨拶を言いに来た。

孔子「餞別には車がいいかな? それとも言葉かな。」
子路「なにとぞお教えを一つ。」

孔子「強そうに見えないと住民は言うことを聞かない。まじめに働かないと業績は上がらない。まごころで付き合ってやらないと親しまれない。信頼を得なければ報いてくれない。物腰柔らかでないとお祭りに付き合ってくれない。この五つに気を付けるんだな。」

子路「お教え、確かに従いましょう。そこでこの際ですから問いますが、親しまれようとして下手に出れば、却ってバカにされます。くどくど説教しないと、下役人も住民もすぐサボります。立ち働いているのを毎日見られると、”無能なお人じゃなあ”と小バカにされます。どうしたらいいですか。」

孔子「あのな、だから今言っただろ。まごころじゃなく下心で付き合うからバカにされるのだ。信頼が無いからサボるのだ。お祭りに出てこないようだから小バカにするのだ。」(『孔子家語』子路初見2)

その子路の行政手法は、民の先頭に立って働くことだった。すでに論語子路篇1に載せた別伝の、概要のみ記す。

論語 子貢 問い 論語 子路 怒り
子路は治水工事の先頭に立って働いた。そして動員した民には弁当を支給した。ところがそれを聞いた孔子は、子貢を呼んで「弁当屋を叩き壊してこい」と命じた。面白がって子貢が叩き壊すと、子路が真っ赤になって孔子宅に飛び込んできた。「何をなさるのです!」(『孔子家語』致思第八)

https://hayaron.kyukyodo.work/syokai/kenmon/355.html



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