昨日の改訂から

問焉

論語の本章では”ねんごろに問うた”。「焉」の字は論語の時代に存在しないが、近音に「安」があり、”据える・置く”の語義がある。補助動詞として”…しておく”の意であり、”…し終える”の意でもある。文意としては軽く問うたのではなく、とっくりと問うてそれをし終えた、の意。詳細は論語語釈「焉」を参照。

この「焉」を「置き字だ」とか言って無いものとして扱うと、論語の本章はわけが分からなくなる。くどくど問うた孔子に対し、使いは要点を一言で返した。それゆえ孔子が感心したのである。


少なくともその年までは蘧伯玉が生きていたとされるBC484年は、孔子が衛を出て魯に戻った年で、論語の本章が衛国滞在中か魯に帰った後かは分からない。ただ最後に衛国にいたときもやはり蘧伯玉の屋敷にいただろうから、孔子が帰国した後の話だろう。

孔子は初回の衛国滞在では、縁戚の顔濁鄒親分の屋敷に逗留し、衛国乗っ取り工作を始めて嗅ぎ付かれ、脱兎の如く衛国から逃げた。二回目以降は大人しく、衛国の有力者である蘧伯玉の屋敷に滞在していたのだが、危険人物を迎え入れてくれた蘧伯玉には、感謝したに違いない。

確かに再受入を認めた殿様の霊公も太っ腹ではあるが、それもおそらく、蘧伯玉が孔子の身元を引き受けてくれたからで、その結果衛国は孔子にとって第二の故郷と言えるほどの長期滞在国になったのだから、蘧伯玉に対する孔子の恩義は軽くない。

だからこそ、やって来た使者にあれこれ孔子は問うたわけで、その背景を含め「焉」の語法など、論語の本章は漢文を丁寧に読むことの重要さを示してもいる。ここから先は想像だが、蘧伯玉は孔子の行状を重々承知しながら、その人並みならぬ何かを評価したのだろう。

このような、必ずしも外見に現れない人間の機能や迫力を、孔子は「徳」という言葉で表現した。論語にいう「徳」とは、後世の偽作を除けば徹頭徹尾この意味で(→論語における徳)、蘧伯玉もまた論語の時代に数少ない、徳をその目に見うる人物だったのだろう。

外見と本質の違いについて、他学派ではあるがこういう話が伝わっている。

楊朱之弟曰布,衣素衣而出。天雨,解素衣,衣緇衣而反。其狗不知,迎而吠之。楊布怒將扑之。楊朱曰:「子無扑矣!子亦猶是也。嚮者使汝狗白而往黑而來,豈能无怪哉?」

楊朱
孔子没後に一世を風靡した思想家、楊朱には弟がいて、名をと言った。ある日弟が白い羽織を着て出掛けたところ、途中で雨に降られた。そこで羽織を脱いで黒い上着のまま家に帰ったところ。

飼い犬「ウウーッ、ワンワン! ワンワン!」
楊布「くぉのバカ犬が! 俺がわからんのか!」

弟が犬を鞭で引っぱたこうとすると、楊朱が間に入って言った。
「よせよ。お前だって、白犬が出掛けて黒犬になって帰ってきたら、あやしいと思うだろう?」(『列子』説符26)

https://hayaron.kyukyodo.work/syokai/kenmon/358.html

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