本日の改訂から

論語に記された子貢の叱られ話、おとしめ話は、大概が後世の贋作だが、本章もその一つ。論語では、「方」=人を比較して評論する、は子貢をタネに孔子もやっているが、その公冶長篇の章も、文法的に論語の時代にあり得ない書き方をしており、贋作とわかる。

論語 孔子 人形 ニセ子貢
孔子「子貢や。お前と顔回はどっちが出来るかね?」
子貢「そりゃ顔回ですよ。彼は話のタネを一つ聞けば十を想像できます。私は二がせいぜいです。」
孔子「そうそうその通り。私もお前も、顔回の仁には及ばんなあ。」(論語航也著編8)

こちらは子貢おとしめキャンペーンと言うより、顔淵神格化キャンペーンの一環で、やらかしたのはほぼ確実に前漢武帝期の董仲舒である。対して本章は誰の手に依るとも言いがたいが、上記のように「暇」の字と定州竹簡論語から、前漢時代の儒者の誰かによる。

なお「暇」の字は、論語では本章のみに見られるが、孔子より一世紀後の『孟子』には数カ所に見られ、『孟子』もまた漢儒の魔の手からは逃れられていない。

梁惠王曰:「晉國,天下莫強焉,叟之所知也。及寡人之身,東敗於齊,長子死焉;西喪地於秦七百里;南辱於楚。寡人恥之,願比死者一洒之,如之何則可?」

孟子對曰:「地方百里而可以王。王如施仁政於民,省刑罰,薄稅斂,深耕易耨。壯者以暇日修其孝悌忠信,入以事其父兄,出以事其長上,可使制梃以撻秦楚之堅甲利兵矣。彼奪其民時,使不得耕耨以養其父母,父母凍餓,兄弟妻子離散。彼陷溺其民,王往而征之,夫誰與王敵?故曰:『仁者無敵。』王請勿疑!」

孟子 梁恵王
梁恵王「先生もご存じの通り、我が魏を含む晋国は天下の最強国でした。所が余の時代になって、東では斉と戦って敗れ、長男を失いました。西では秦と戦って敗れ、七百里の土地を取られました。南でも楚にバカにされています。とても頭に来ておりますし、死者の恨みも晴らしたい。どうすればいいですか。」

孟子「百里四方の領地があれば王を名乗れます。王殿下がもし領民をいたわり、刑罰と税を緩めたら、みんな一生懸命農作に励みます。成人男性が暇を見つけては儒教のお説教を勉強し、家では年長者によく奉仕し、外では目上によく従うようになれば、棍棒を持たせただけで秦や楚の強兵を打ち任せられましょう。

秦や楚のような野蛮人は、民をいじめますから、民は父母を養えず、父母は飢える兄弟妻子は離散する、目も当てられない暴政です。そうやってひどいことになっている国に、王殿下が進撃すれば、誰が殿下を迎え撃ちましょう。だから”仁者は無敵だ”と申すのです。ウソではありませんぞ。」(『孟子』梁恵王上5)

もちろんこれは孟子、いや後世の儒者のウソッパチで、『孟子』の冒頭である梁恵王篇は、梁の国王ともあろう者が、天下の素浪人である孟子から、這いつくばうように教えを受けている、というお芝居だ。まるで孟子は、巨神兵でも手下に従える超絶人物であるかのようだ。
巨神兵 焼き払えー!

論語だけで手一杯の訳者には、今は孟子まで面倒見切れないが、「論語や孟子にこう書いてあった」というのを元に人様に説教するのが、いかにバカバカしいかおわかり頂けると存ずる。屋上屋を掛けて、カネ払ってそういうのを聞きに行くのはかぶき踊りの類だということ。

孟子
なぜかぶき踊りか? そもそも子が始めた儒教とは、人をクルクルパーにして権力者の思い通りに操る道具だからだ。だから「儒教のお説教を学ぶ」→クルクルパーになる→「たかが棍棒で楚・秦の強兵と戦う」という、自殺的特攻隊が出来ると漢儒も『孟子』に書いたわけ。

孔子
対して子の説いたのは儒教でも儒術でもなく儒学で、庶民でも読み書き算盤や武術を習得すれば、貴族になれるよ、と勧めたに過ぎない。従って未検証ではあるが、論語の中にある一般的社会教育を孔子が語った節は、ナニガシか後世の作為があるような気がしてならない。

https://hayaron.kyukyodo.work/syokai/kenmon/363.html

白川静
上掲「其不」の語釈をしつこくやったわけは、言わずもがなで恐縮だが、現代日本語音で近いからといって、平気で”字が通用する”と、文化勲章を貰った白川静でも言ってしまい、そのデタラメが通ってしまうのが日本の漢文業界だから、閲覧者諸賢はくれぐれも御注意されたい。

ニセ論語指導士養成講座 論語教育不救機構
例えば論語指導士養成講座と称し、全く裏付けのない資格商売で世間から金を巻き上げた挙げ句、襟に付ける弁護士バッチまがいの、サイダーの栓の如きものを一万五千円で売っている加地伸行は、垂れ流した動画の冒頭で北京語を振り回して素人を脅しているが、ただのハッタリだからビックリしてはいけない。

さて上記の検証にかかわらず、論語の本章には酷似の章が他にもあり、しかも定州竹簡論語に見えないことから、後漢儒者による論語のふくらし粉だろう。この論語憲問篇はバカバカしいほどに長いが、それも後漢儒者が膨らましに膨らませたしわざである。

だがそれを大げさに言い立てるのが、儒者というものだ。

凡章指同而文不異者,一言而重出也。文小異者,屢言而各出也。此章凡四見,而文皆有異。則聖人於此一事,蓋屢言之,其丁寧之意亦可見矣。


論語の全てにおいて章が同じで言葉も同じというものは、ひとことを重ねて発言したもうたのだ。文ごとの少々の違いは、何度も仰せになってそれぞれに口になさった結果だ。

本章は四度論語に見える。そして文章は皆違っている点がある。つまり聖人には仰せになりたいことが一つあった。それをしばしばのたもうた事を思うと、丁寧にその意味を諭されたお気持ちを見ることが出来る。(『論語集注』)

朱子が言う四章とはこれ。

論語学而篇16

不患人之不己知、患不知也。

人が自分を知らないのは気にならないが、知らないのが気になる。

本章同様、「也」の用法から戦国時代以降の儒者による捏造の可能性がある。

論語里仁篇14

不患無位、患所以立。不患莫己知、求爲可知也。

地位が無いのを気にしない。地位を得る理由が無いのを気にせよ。自分が知られないのを気にしない。知られるよう努力するのだ。

本章同様、「也」の用法から戦国時代以降の儒者による捏造の可能性がある。

本章

不患人之不己知、患己無能也。

人が自分を知らないのは気にならないが、自分の無能が気になる。

論語衛霊公篇19

君子病無能焉、不病人之不己知也。

君たちは無能を強く気にしろ。人が自分を知らないのは気にするな。

本章同様、「也」の用法から戦国時代以降の儒者による捏造の可能性がある。「病」の字の初出は戦国文字で、へんの「疒」に”やまい”の意があるから、かろうじて論語の時代に置換できなくも無い、と言った程度(→論語語釈「病」)。「焉」は”してしまえ”という強調。

以上四者を比較すると、学而篇と本章を合成して里仁篇と衛霊公篇をでっち上げたように考えたくなるが、その可能性を高める理屈をひねり出せそうに無い。あくまで感想に過ぎない。

「知」の意味も三者統一して「能」の意味かも知れないが、どれかが偽作だろうから、その詮索はバカバカしいと言わざるを得ない。「孔子ならこう言うことをいいそうだ」という当ては付けることが出来ても、後世の儒者が何のつもりででっち上げたか、知れたことでは無い。

『論語集釋』も面倒くさかったと見え、たったの1頁で終わっている。その中で明儒・鄒守益の『東廓集』をこんな風に引いている。

学而求能、乃為己之実功、若謂求能以為人知地、則猶然患人不己知之心也。

明儒
勉強して技能を身につけたいというのは、一見立派に見えるが、自分の得になるから勉強しているだけで、勉強そのものを好いているとは言えない。もし技能を身につけて、それで人に知られようとするなら、結局は自分が無名なのを気にしているに過ぎないではないか。

鄒守益はwikipediaによると、科挙=高級官僚採用試験の最終試験を第三位で突破した秀才で、これを「探花」という。唐代の科挙合格者の優等生が、帝都長安で最も美しい花を探して競った、という故事に来歴する。それはともかく、探花ならこういう偽善も言いかねない。

王陽明
だが鄒守益は陸相(兵部尚書)を務めた王陽明の弟子で、かつて王陽明が叛乱軍の鎮圧に出向いたとき、付き添って補佐したともある。となるとただの高慢ちきではなさそうで、本物のまじめ人間だったかも知れない。

https://hayaron.kyukyodo.work/syokai/kenmon/364.html

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