本日の改訂から

「徳」というのは論語や儒教、ひいては中華文明全体を理解するのに必須の概念だが、その意味は曖昧としてきた。曖昧な方が、その定義を担う儒者にとって都合がいいからで、問われたときの収賄額に応じて何とでも変える事が出来た。

だがその本義を、論語の本章で白状している。上記の通り、「徳」=「得」”利得・利得されたもの”。派生義として”利得した能力”をも意味しうる。少なくとも定州竹簡論語が記された前漢宣帝期まで、徳をわけの分からぬ道徳と言い回るようなことは、儒者でさえしなかった。

それが道徳の意に転じたのは、偽善にまみれた後漢の時代からとわかる(→後漢というふざけた帝国)。古注はそれを証拠立てている。実際、古注に記された最古の注釈は後漢末の、バカがハンダ付けになった鄭玄によるもので、あとは魏晋南北朝のゴマスリ儒者による付け足し。

古注『論語義疏集解』
註鄭玄曰徳者謂調良之徳也疏子曰至徳也 驥者馬之上善也于時輕徳重力故孔子引譬抑之也言伯樂驥非重其力政是稱其美徳耳驥既如此而人亦宜然也江熙曰稱伯樂曰驥有力而不稱君子雖有兼能而惟稱其徳也

鄭玄
注釈。鄭玄曰く、徳は馬の徳を調えて良くなったのを言う。

付け足し。孔子様は徳を記した。驥は最高の馬である。時に世間は徳を軽んじて能力だけを重んじる。だから孔子様はたとえを出して、それをたしなめたのだ。その真意は、馬飼いは驥の能力を重んじず、政治は人の美徳を讃えるものだということだ。驥すらこのような扱いを受けるのだから、人はなおさらだろう。

江熙「馬飼いが驥の能力を讃えないのを孔子様が褒めたもうたのだ。君子は能力があっても、ひたすらその徳が讃えられるのだ。」

後漢儒者の頭の悪さが、ここから読み取れるというものだ。どんなに千里をも走る馬だろうと、ところ構わずクソしょうべんを垂らす動物に、道徳などあったものではない。その無いものをあると言い回る偽善と欺瞞を、その後の儒者は収賄のため疑いもせず持ち上げてきた。

新注『論語集注』
驥,善馬之名。德,謂調良也。尹氏曰:「驥雖有力,其稱在德。人有才而無德,則亦奚足尚哉?」

尹焞
驥は名馬の名である。徳は、調教して良くなったことを言う。

尹焞曰く、「驥には能力が有っても、賞賛されるのは徳だけにすべきだ。才能ある人に徳がなかったら、それはとりもなおさず、尊ぶ必要のない人だ。」

こんなたわけたことを書いているから、尹焞は金軍に家族を皆殺しにされ、自分も意識不明で山奥に担ぎ込まれることになったのだ。だが徳=得と解さない限り、解読不能な漢文は、漢代までならいくらでもある。孔門十哲の謎の頁に掲げた『孔子家語』の一節もその一つ。

為親負米,不可復德也。
親のために米を背負って運ぼうとしても、二度と徳=得ることが不可能です(もう出来ません)。(『孔子家語』致思12)

ゆえに請け合っていいが、論語に言う徳を道徳の類と解説している本の書き手は、間違いなく漢文が読めない。読んだ数をこなしていれば、徳を道徳と解しては読めない漢文に必ず出くわすはずで、もしそれでも道徳と言い張るなら、それは疑問を持つ能の無い脳足りんである。

論語を講釈して世間から金を取る連中も同様で、ひょっとして例外がいるかも知れないが、大概はものすごく頭が悪いことがおわかりだろうか。こんな事は別に定州竹簡論語の発掘を待たなくとも、まじめに漢文を読んでおり、常人並みの知性があれば気が付くはずだから。

もちろん論語とその他孔子伝説には、徳を道徳と解さねばならない文はある。

顏回問子路曰:「力猛於德,而得其死者,鮮矣。盍慎諸焉?」孔子謂顏回曰:「人莫不知此道之美,而莫之御也,莫之為也何居?為聞者盍曰思也夫。」

論語 顔回 喟然 子路
顔回が子路に言った。「兄者、腕力が道徳より優れていて、いい死に方が出来るひとはめったに居ません。どうか慎んで下さい。」

孔子「願回よ、道徳の範囲で腕力を振るうのが良いというのは、誰でも知っていることだ。それでもその通りの力加減を出来る者はおらず、結局やり過ぎてしまうのはどうしてだと思う? この道理を聞いても小ばかにして、すぐに忘れてしまうからだ。」(『孔子家語』顔回8)

「力」=腕力や武力もまた、得られたもの=徳の一部に違いない。だがこの別伝では、力と徳を同列の異物として扱っている。こういう場合は徳を道徳と解すると同時に、ためらいなく贋作と断じてよい。こういう「場合分け」が出来なければ、漢文を正しく読むことは出来ない。

https://hayaron.kyukyodo.work/syokai/kenmon/367.html

しかし「怨みに報いるに正しさを以てする」と論語の本章を解釈するのは誤り。「平凡人」の孔子は、怨みには怒りで返した。「子は温かにしてはげし」い人だった(論語述而篇37)。しかもキリストと真反対に、「神なんて居ない」と平気で言う人だった(→孔子はなぜ偉大か)。

また下村先生が老荘家に感じた「恨みに徳」は、確かに『老子道徳経』にあるが、老荘思想は「右の頬を打たれたら左を」(『福音書・マタイ伝』5-39)を説いておらず、限度を超した恨みは消しようが無いから、恨まれるようなことをするな、と言ったに過ぎない。

和大怨,必有餘怨;安可以為善?是以聖人執左契,而不責於人。有德司契,無德司徹。天道無親,常與善人。

老子

限度を超えた恨みを消そうと思っても、消しきれずに残るものだ。そうなれば人は無力になる。では人がその能力を十分に発揮する、とはどういうことか?

恨みの道理から聖人は証文を持っていても、それをたてに人を責めたりしない。徳々と訳知り顔に言う者が居るが、徳とは証文と取り立ての関係を前提にしており、それを捨て去るには徳を捨て去るしかない。

丁度天が分け隔て無く恵みの雨を降らせ、そして人を干殺しにするように。それを自覚して自分の能力の限り、徳を捨てる。つまり何も為そうとしない。そういう者が、結局天の味方を得るのだ。(『老子道徳経』79)

つまり自分が仕返しする段になって(=証文を持つ)、仕返しには仕返しで返されて限度が無いから、やめておけ、その意味での「恨みに徳」を説いたわけ。

注を付けた儒者は、「徳」「直」の定義をしていないが、後漢時代の偽善とごますりらしく(→後漢というふざけた帝国)、「人徳」「正しさ」と捉えている。実はこの「徳」の解釈、上掲の老子に近い。だが解釈の意図は、老子の「恨みを買うな」とはまるで違っている。

孟子以降の儒教が、人をクルクルパーにして従わせる洗脳装置であることをたびたび書いてきたが、後漢になると儒教は、収賄や利権奪取の装置にまで堕落した。道徳家っぽく振る舞って、他人に「恨みに徳」をすり込む動機は、食い逃げするための下準備に他ならない。

https://hayaron.kyukyodo.work/syokai/kenmon/368.html

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