本日の改訂から

以下蛇足ながら、論語読みが嫌われ者になる事実について。論語のみならず人文は、それで財布や腹は膨れず、病気が治ったり橋が架かったりもしない。人がよくならねば意味が無い。それはあるいは自分の無知を知り、謙虚に先達から伺えるようにする稽古でもある。

病院へ行くと必ず、医者に食ってかかっている団塊じじいを見かけるが、こういうのを無駄な学問をしたと言い、論語に例えれば「論語読みの論語知らず」というのである。医師の指図に従わない間は病が悪化するのだが、当人はその損に気付かない。バカをさらけ出している。

だがそれで良かろう。そんなジジババは、早く●んだ方が誰にとっても幸いだからだ。

https://hayaron.kyukyodo.work/syokai/kenmon/375.html

禮(礼)

論語 礼 甲骨文 論語 礼 金文
(甲骨文・金文)

論語の本章では”理想の貴族に相応しい振る舞い”。礼儀作法もそのうちに含まれるが、一部でしか無い。また現伝儒教の言う礼儀作法は、事実上大小の『礼記』に記されたものであり、その成立は早くとも前漢だから、論語や孔子と全く関係が無い作法さえある。

孔子は庶民出身の弟子に読み書き算盤、武芸を教えて家族にふさわしい教養と技能を身につけさせ、成り上がりを助けた。孔子の生前、「君子」とはそのような技能と教養を持った”貴族”を意味し、”情け深い、教養ある人格者”という語義は、孔子から一世紀後の孟子が提唱した「仁義」から始まる。詳細は論語における君子を参照。

論語と算盤 干戈
そして君子らしい君子、立派な貴族に相応しい姿を、孔子は「仁」と呼んだ。貴族の責務は第一に、戦士として外敵から領民を守る事であり、次いで領民の暮らしが立つような政策を進めることだった。決して「仁義」=”情け深さ”の意味ではない。詳細は論語における仁を参照。

その仁を説明するに当たって、孔子は弟子の顔淵に、次のように言っている。

顔淵仁を問う。子曰く、克己復礼を仁と為す。(論語顔淵篇1)
つまり自我を抑制し、「礼」に忠実に従うのが仁である、と定義した。従って礼とは、仁者=理想の貴族に相応しいあらゆる振る舞いを言い、単に礼儀作法に止まらない。それは例えば孔子が生まれる90年前、魯国に饑饉が襲ったときの、家老の発言に見える。

夏,大旱,公欲焚巫尪,臧文仲曰,非旱備也,脩城郭,貶食省用,務穡勸分,此其務也,巫尪何為。

論語 左丘明
『左伝』編者・左丘名

(BC639)夏、日照りが続いたので、雨乞いに失敗したこびとのみこを、(魯国公の)公は焼き殺そうと考えた。

(家老の)ゾウ文仲「そんなことでは日照りは収まりません。城壁を堅固にして飢えた賊の襲来を防ぎ、食事を質素にして出費を減らし、農耕に力を入れて貧者を励ますのが、当面のやるべき事です。みこなど焼き殺して何になるのですか。」(『春秋左氏伝』僖公二十一年)

君子=貴族の任務とは、領民の保護であることが明確に意識されている。それゆえに孔子の壮年時代、領民の保護をなおざりにした昭公は、次のように諌言されている。

子家子曰,君其許之,政自之出久矣,隱民多取食焉,為之徒者眾矣,日入慝作,弗可知也,眾怒不可蓄也,蓄而弗治,將薀,薀蓄民將生心,生心同求將合,君必悔之。

論語 左丘明
(BC517、昭公が門閥家老の季氏を討伐しようとしたところ、)子家子が昭公に言った。「季氏が政治を執るようになってから長く、困った民を食べさせているのも季氏です。彼らは季氏のためなら何でもするでしょう。日が暮れたら暴れ出して、どうなるかわかりません。民衆の怒りは貯まったままでは済みません。その怒りが発酵するほど放置して置いた今、殿への怒りが爆発し、群れを成して襲いかかりますぞ。なのに今さら季氏の討伐ですか。きっと後悔なさいます。」(『春秋左氏伝』昭公二十五年

つまり孔子生前の「礼」とは、”立派な貴族らしいふるまい一般”に他ならない。

使

論語の本章では”使う”。中国古代の税は、土地税などの穀物による物納と、労役の二本立てだった。論語の時代寸前までは、庶民は治水などの労役に駆り出されることはあっても、徴兵されることは無かった。だが孔子とほぼ同時期に(クロスボウ)が実用化されると、訓練の無い庶民でも戦力化できるようになって、結局徴兵されるようになった。
論語 弩

これが「君子」の価値暴落を呼び、時代は戦国時代へと移行する。論語語釈「使」も参照。


孔子生前の「礼」が、上記の通り”貴族らしい立派な言動”であることは、論語の次章の解釈でも、納得できるだろうと信じる。

論語の本章について、上記の検証通り史実を疑わせる理由はない。そして訳者が知る限り、本章を拙訳のように解釈した本は無い。そして儒者の猿真似解釈や、従来訳のような解釈をしている限り、金輪際納得のいく解釈は出来ないと確信する。

古注『論語義疏集解』

註民莫敢不敬故易使也疏子曰至使也 禮以敬為主君既好禮則民莫敢不敬故易使也

論語 古注 何晏 論語 古注 皇侃
注釈。民はわざと敬わない者はいない。だから使いやすい。付け足し。孔子様は使うことの至りを記した。礼は主を敬うよう規制する。君主が礼を好めば、とりもなおさず民はわざと敬わない者はいない。だから使いやすい。

「礼は主を敬うよう規制する」とある。閲覧の諸賢に上級国民の類は少ないと存ずるが、為政者が庶民を縛るために勝手に定めた「礼」を好むからと言って、なんで好き好んでそんなふざけた話に、庶民が付き合わねばならぬのか。

そもそも「礼は庶人に下さず、刑は大夫に上せず」=”庶民に礼儀作法などありはしない。刑罰は上級貴族に執行しない”とうそぶいたのは、儒者どもだったはずだ(『礼記』曲礼上68)。こんなダブルスタンダードを、真に受ける漢学教授連中の気持ちが分からない。頭が悪すぎるのではなかろうか。
漢学教授

ついでに新注も見ておこう。

新注
好、易,皆去聲。謝氏曰「禮達而分定,故民易使。」

好と易は、皆尻下がりに読む。
謝良佐
謝良佐「礼が世間に行き渡ると、身分秩序が定まる。だから民は使い易い。」

新注もアホらしさの程度では変わらないが、科挙に通ったこういう馬鹿者は、例えば「ワイロは禁止」と法に書いてあったら、誰もワイロを取らないとでも言うのだろうか。こういう思考停止、「お前だけそうしろ」という身勝手が、孔子の教説を絵空事にし、人をクルクルパーにする道具へと堕落させた。宋が儒者の高慢ちきで滅んだのももっともである。

ただし宋儒に関して言うと、最後だけは立派で高慢ちきの責任を取った(→崖山の戦い)。

https://hayaron.kyukyodo.work/syokai/kenmon/376.html

帝舜が確認できるのは孔子より一世紀後の孟子の時代で、孟子は顧客である、斉国を乗っ取って間もない田氏の家格に箔を付けるため、その先祖ということになっていた舜を、夏王朝より昔の聖王だと言いふらした。もちろん全部、高位高禄を得るためのでっち上げである。

夏王朝より昔に設定したのは、孔子没後に儒家を圧倒した墨家が、土木技術集団である自らの開祖として、夏の開祖・禹王をでっち上げたから。殷中期以前は無文字時代で、夏王朝も禹ももちろん架空である。それより昔の舜はなおさらで、さらに古い堯は言うまでも無い。

今世紀に入って中国政府が、御用学者を集めて堯舜から夏王朝、周までの年代をいついつだと決定したが(夏殷周年表プロジェクト)、頭のおかしな人間のすることで、天照大神や神武東征についての『古事記』の記述を、史実だと言い張る𠮷外神主の類と変わらない。


論語の本章は、上記の検証にかかわらず、堯舜うんぬんを除いて、おそらく孔子の肉声だろう。定州竹簡論語に見えないことから、『漢書』芸文志に言う「伝」=孔子にまつわる伝説から、後漢儒者が材料を取って、シリに自作のファンタジーをくっつけたのだろう。

幼女顔に巨乳という、宮崎アニメ系現代日本のファンタジーは、物理現実の女性に出入りできない男子諸君の、切なる願望から殷賑を極めているのだが、中華文明には実利無きファンタジー要素が極めて少なく、萌え小説『紅楼夢』は、日本人同様目のつり上がった満洲旗人の筆。

目の座った中国人らしいのは『金瓶梅』の世界。だから論語の本章に関しても同様だ。

儒者は実利があるから、本章にでっち上げを加えた。堯舜を祭り上げ、さらにその時代の「記録」なるものを、もの凄く読みにくい漢文で偽作した。解釈が出来るのは儒者だけで、これはともすると噛みつきに来る皇帝とその一族を、暴君呼ばわりで押さえる効き目があった。

「堯舜と違いますぞ」と。これは後漢の光武帝のような、極めつけの偽善者にはとりわけ有効だったし、のちには皇帝もそれを自覚して、逆に儒者のファンタジーを、宮崎アニメの女性の胸部並みに膨らませるようあおりもした。それは儒者高慢ちき最高潮の、北宋帝国の時代。

娶妻莫愁無良媒,書中自有顏如玉。

真宗
科挙に合格しさえすれば、萌え萌えの美少女と槍放題。(「勧学詩」)

書いたのは真宗皇帝である。中華文明が極めて現実的であるとはよく言われることだが、ここまであからさまに人の欲望を、皇帝ともあろう者が煽ったのはすさまじいことだ。これは現代に至るまでの中国政治の特徴を、よく表している。

「炮打司令部」=”出世した奴らを●せ”。毛沢東はそう言って、人間の欲望と不可分に隣り合わせの、嫉妬という生々しい感情を煽り、文化大革命を勃発させた。「造反有理」=”暴れ回る君たちは正しい”。事実上の皇帝にそう言われて、殺戮は止めどなく繰り返された。

さて本章は孔子生前の君子とは何か、明確に規定した一節であり、君子の語義さえ正しく理解すれば、春秋時代の世相を理解する良い材料になる。

本章
孔子「自己修養すると人が安心する。」

この理屈が通るには、修養する君子が、人に影響を与えうる立場でなければならない。仮に現在の政治家が滝に打たれたりして自己修養したとして、安心を感じる諸賢がいるのだろうか。いるかもしれないが、もしそうなら拙訳を読まない方が精神衛生上よろしいと存ずる。

孔子の言う自己修養とは、とりもなおさず孔子塾で教えている、貴族に必要な技能と教養のことで、例えば武芸もそのうちに入る。戦時に守って貰えれば、人は安心するだろう。

本章
孔子「自己修養すると民の暮らしが立つ。」

孔子塾では算術と読み書きも教えた。役人として帳簿の付け方も教えたのである。帳簿は行政の基本で、民の信用を得るには帳簿無しでは始まらない。徴税時の枡目の誤魔化しや、饑饉の時の配給のデタラメを防ぎ、民の暮らしが立つようにするには、帳簿無しでは成り立たない。

これをいかにも儒者風味の偽善で、「修」=精神的修養に限って読もうとするから、いつまでたっても論語に何が書いてあるか分からないのだ。『論語集釋』に載った儒者のあれこれも、そうしたバカバカしい話ばかりなので、今回は記す気にも訳す気にもならない。

もちろん古注新注も同様である。お好きな方がご自分で読めばよろしい。

https://hayaron.kyukyodo.work/syokai/kenmon/377.html

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