本日の改訂から

『論語集釋』には、論語の本章について儒者がどうでもいい議論を展開しているのを、半ばからかうように引用している。儒教帝国がひとまず滅んで、民国初期に書かれただけあって、こういう批判精神は面白い。以下訳文のみ示す。

韓愈
唐代の大儒・韓李(韓愈)の『論語筆解』にはこう書いてある。「この句は簡の順序がおかしい。”子路慍見”の直後にあるべきで、そう読んだ方が一段とわかりやすい。」

対して金儒・王若虚の『論語弁惑』にはこうある。「徳を知る者はすくなし、この句を語るものはみな、”子路慍見”から出た言葉だと言い張るが、デタラメだ。間に子貢との”多学”の一章が挟まっており、つまり話は一旦そこで途切れている。どうして子路の話と同時だと言えるのか? 『史記』孔子世家を参照すると、”多学”の上に”子貢色をなして”と書いてある。だから本章も、誰かさんが怒ったのに対する孔子の反論だ、と勝手に言い出す儒者が出たわけだ。

あーあ。経典を読むならまず、本文を尊重してはどうか。如何わしい伝記の類を根拠に、経典の本文をいじくり回すのは、要するに目立つようなことを言って、得意がりたいだけである。」

「嗚呼! 解経不守其本文而信伝記不根之説」。唐宋八大家=中国古典復興の祖と讃えられる韓愈でさえ、ボロクソにこき下ろされている。だが批判されない説は無名の説でしかない、というのが本当のところで、韓退之センセイだからこそ、こうしたやり玉に挙がったわけ。

金は華北を支配して南宋と対峙した女真人の王朝だが、儒教はやや不遇だった。道教の一派である全真教が興り、のちにチンギス=ハーンの尊崇を受ける長春真人などの俊才が活躍していたこともある。だがそれゆえに、自由な批判精神を許されたのかも知れない。

対して南宋の儒者は朱子を筆頭に、まだ目が覚めなかった。儒者は高慢ちきゆえに北宋を滅ぼした。全真教の勃興は、儒者の高慢ちきに世間がうんざりしたことの反映でもある。そして宋儒はひたすら黒魔術と派閥抗争に明け暮れた挙げ句、南宋をも滅ぼすに至るのである。

https://hayaron.kyukyodo.work/syokai/eireikou/382.html

スポンサーリンク
スポンサーリンク



スポンサーリンク



シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

関連記事(一部広告含む)

スポンサーリンク
スポンサーリンク