本日の改訂から

(全面改訂)

孔子はおそらく中国史上初めて、「知」と言い出した人物である…。

https://hayaron.kyukyodo.work/kaisetu/ti-1.html

なお「小人みだる」の類語として、「貧すれば鈍す」を知っておくと論語の本章をよりよく理解できる。”貧乏すると頭まで悪くなる”の意だが、必ずしも当を得た言葉ではない。金回りが良い社会とは、つまりは爛熟期のローマのように、「パンとサーカス」の世でもあるからだ。

現代日本でそれに当たるのはバブル期だろう。だが日本人の判断力がまともであったとは到底言えない。例えばたかが球蹴りの試合に負けたのを「ドーハの悲劇」とか、まるで歴史的大事件のように言い回った。そしてこの騒ぎに同調せぬ者を平然と差別して恥じなかった。

サッカー愛好者の愛好に水を差すつもりは無い。だが愛好せぬ者だって世の中にはいるのだ。するもしないも同等の権利を持ち、尊重される。それが現代の原則というものだ。あるいは感情に反するだろう。だがそれを乗り越えて原則に従うのが、つまりは論語に言う仁である。

いはく、おのれちてれいむをじんす。(論語顔淵篇1)

仁とは貴族らしさを言う(→論語における仁)。それを持たぬ者を小人と言う。孔子は小人を差別しなかったが、区別はした。マスコミに踊らされた馬鹿どもが出るのは現代の常だが、バブル期は社会の馬鹿の程度が無意識の差別にまで及んだ。およそろくでもない時代である。

訳者も当時と比較すれば、今の方が頭が良くなったように実感する。加齢に伴う脳の劣化という物理的事実から見て、あり得べからざる珍事だ。ついでに言えば当時の自分に出会い、時運の赴く所でケンカに及んでも、九分九厘瞬殺できる。これも肉体の劣化に反している。

貧すれば鈍すの真の意味は、金がないので手段が制限されるということだ。愚かと分かっていても、そうせざるを得ない事情を指す。愚かを愚かと分からないまま愚行に走る、パンとサーカスとは全然違う。ゆえに世の金回りが悪くなったとて、人が利口になるわけではない。

つまり小人は常に濫れている。窮するかどうかには関係が無い。

https://hayaron.kyukyodo.work/syokai/eireikou/380b.html

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