本日の改訂から

論語の本章も、孔子が弟子たちに、目指すべき貴族のあるべき姿を説いた話と解してよい。孔子の弟子は九分九厘庶民の出身で、孔子塾で学び稽古することで、貴族にふさわしい教養と技能を身につけ、仕官して最下層の貴族である士に成り上がることを目標にしていた。

つまり小人=庶民に無い教養や技能を身につけることが貴族の条件であり、それらを”知る”ことが弟子に求められた。本章に言う知者はその意味での知者であり、とりわけ知識や教養が高い知恵者を意味しない。人付き合いにも相手を見抜く技能がある、政治に向いた人材である。

ただしここで中国独特の注意が要る。中国では政治家と官僚の区別が無い。政治家は社会の利益配分を調整する者で、官僚は政治家の指示に従ってその実行に当たる。中国の理念上は政治は君主が行い、官僚はそれを助ける者に過ぎないが、現実はほとんどそうで無かった。

世襲君主に生まれた者に、必ずしも政治の才があるわけではないからだ。利益配分とはある者が見込んだ利益を取りあげ、見込まない者に配ることだから、つまり常に社会の半分近くは敵に回す。そんな恐ろしいことを平然とやってのけるには、それ相応の体質が要る。

だから出世した官僚が君主に替わって政治家になる、はずだったのだが、中国人の特質として、公共という概念が無い。つまり地位は常に、自分の腹を肥やすための元手であり、失脚したり処刑されたりしない程度に最大限、権力や権限を使って自腹を肥やした。

孔子の生きた春秋時代はまだ、なんぼか人間が素朴だが、やはり皆が欲タカリに目が眩んでいる政界官界で、人を見抜くことは下っ端役人=士と言えども必要だった。それゆえ孔子がこのように説教したのであり、現実に居そうもないご立派な知恵者の話をしたわけではなかった。

対してこの点儒者の解釈は、あまりに脳天気でむしろ微笑ましい。

だが孔子の話の真意に気付いた様子は無い。この点は明末清初の儒者、顧夢麟も同様だったようだ。

明儒
才能のある人というのはめったにいないものだ。だから会えたのに付き合えないとなったら、それはただ事では済むだろうか。だから人を失う怖さに、ついつい余計な者にまでしゃべってしまうのは、人のさがというものだ。人を失うも言葉を失うも、根は同じであり、それは人を見抜けないことにある。だから知恵者だけがうまくやってのけるのだ。(『四書説約』)
 
あるいはこう言ってもよかろうか。東京の個人土地持ち家持ちに、まともな人間はめったに居ない。そやつ等のほとんどは先祖が百姓だっただけで、今や生涯働かず、客を無意識に見下している。人品が大いに伴わない。かかるヤカモチどもの愚劣さは、馬鹿すぎて話にならない。
 

論語の本章は上記の通り、文字史的には史実を疑えないのだが、熟語を使っていることと、何より孔子が言いそうもない話であることを理由に、後世の創作と思われる。定州竹簡論語にあるからには、前漢初期までに創作されたのだろうが、内容から戦国時代のニオイがする。

中国の春秋時代と戦国時代の違いは、技術の発達によって他国を滅ぼし自領に組み入れることが出来るようになった点で、それには孔子も一枚噛んでいる。広大な領地の統治には、中央政府の意のままに働く官僚が不可欠だが、史上初めて官僚を養成したのが孔子塾だった。

軍事面でもこれは当てはまり、確かに弩(クロスボウ)という画期的発明があり、平素の軍事教練が無い庶民でも、徴兵すれば強力な打撃部隊となり得たが、戦争の前には膨大な基礎研究が必要で、それは例えば戦場予定地の地理や敵地情勢の調査などが含まれる。

プロイセン参謀本部もそれをそっくり真似た日本の陸軍参謀本部も、仕事の第一は測量と地図の作図だった。現在の国土地理院は、敗戦によって参謀本部が廃止されても、地理部門だけは生き残って今に至っている。科学技術の乏しい中国古代では、地理研究は一層重大だった。

それを平時から行う参謀本部を設けたことで、プロイセンがすさまじい軍事大国と化したのは世界史的常識だが、それより二千年以上前に、そうした平時のスタッフワークの必要性を、孫武が『孫子兵法』で説いている。「敵を知り、己を知らば、百戦あやうからず。」

こうした軍事参謀と、平時の政治参謀が分かれていないのが中国古代の特徴で、ゆえに「軍師」が、君主の政治参謀たり得た。従って孔子塾が養成したのは、ただの下っ端役人だけではない。政治軍事両方に通じた人材を、庶民からでも養成し得ることを証した所に意義がある。

論語 冉求 冉有
現に有力弟子の冉有は政治面だけでなく、武将としても活躍した。そして孔子より前の時代、公職とはすなわち家職であり、世襲するものだった。孔子塾の出現によってそれが一部崩れたが、完全に置き換わらなかったことは、戦国時代も下った孟嘗君の言葉に表れている。

君用事相齊,至今三王矣,齊不加廣而君私家富累萬金,門下不見一賢者。文聞將門必有將,相門必有相。

父上が斉の宰相になってから、三人の王殿下が代替わりされました。その間斉国は全く領土を広げず、父上と我が家のみが万金の富を貯えております。なのに一族一党、ボンクラばかりです。将軍の家には将才のある者が生まれ、宰相の家には政才のある者が生まれると聞きますのにね。(『史記』孟嘗君伝)

君主を例外に、全ての公職から世襲を排除したのは、始皇帝による統一を待たねばならない。しかし厳密には秦帝国にも世襲貴族がいたし、原則としてその廃止を企てたから、秦帝国は貴族という支持層を失ってあっけなく滅んだ。君主制には世襲貴族がつきものなのだ。

現代日本で、当たり前の相続税を考えればあり得ないはずの富豪が、現実には居るのと軌を一にしている。それはさておき、諸侯国同士の潰し合いが激しくなった戦国時代には、忠の字と共に忠義の概念が発明され、領民をクルクルパーにして従わせるのが流行った。

論語の本章もその一環として捉えるべき話で、志のある者は命を捨てて正義を全うしろ、と、権力者によってのみ都合のよい図々しいことを、孔子という権威の口を借りて言わせたでっち上げである。戦争中に若者を煽って特攻隊に追いやった、クズどもと言っている事は同じ。

https://hayaron.kyukyodo.work/syokai/eireikou/387.html

 
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