本日の改訂から

秦帝国の滅亡から楚漢戦争を経て、儒者がやっと本を書き出したのは、現存する中では賈誼の『新書』で、それと紛らわしい著者と書名と時代と内容の本に、陸賈の『新語』がある。漢帝国成立までの地獄を経験しただけあって、論語の本章にこと寄せて次のように書いている。

顏回一簞食,一瓢飲,在陋巷之中,人不堪其憂,齊,夫用人若彼,失人若此;然定公不覺悟,信季孫之計,背貞臣之策,以獲拘弱之名,而喪丘山之功,不亦惑乎!

故邪臣之蔽賢,猶浮雲之鄣日月也,非得神靈之化,罷雲霽翳,令歸山海,然後乃得覩其光明,暴天下之濡濕,照四方之晦冥。今上無明王聖主,下無貞正諸侯,誅鋤姦臣賊子之黨,解釋疑𦄂紕繆之結,然後忠良方直之人,則得容於世而施於政。故孔子遭君暗臣亂,眾邪在位,政道隔於王家,仁義閉於公門,故作《公陵》之歌,傷無權力於世,大化絕而不通,道德施而不用,故曰:無如之何者,吾末如之何也已矣。

漢儒
顔回は粗末な食事を摂りながら貧民街で生きていたが、その程度は誰もが嫌がるほどだった。この一事で分かるように、当時の魯国は人材活用が滅茶苦茶で、あたら賢才を無駄に捨てていた。

だが殿様の定公はバカ殿で、それに気付きもせず、宰相の季孫氏にだまされて、忠義者の言うことを聞かず、世間にバカ殿よと嘲られ、何の成果も出さず治世を終えたのは、頭が悪かったとしか言いようが無い。

だから悪党が賢者を追いやるのは、雲が月日を隠すようなもので、神ならぬ身には、どうしようもない。たまたまそういう巡り合わせなら、あっという間に闇が吹き払われて、明るい世の中を見られたりする。

だが今の世は上にろくな君主がおらず、下にまじめな家臣もいない。悪党どもを根絶やしにして、こんがらかった利権をバッサリ取り払わないと、まじめで有能な人は浮かばれない。たまたまそうなって、そういう人が政治を取れるのだ。

他でもない孔子も、ろくでもない時代に生まれて、バカ殿ばかりが相次ぎ、政治に王道は全く見られず、朝廷は仁義を受け付けなかった。だから「公陵のうた」を作って、まともな政権が世の中に無く、いくら教えても世間の馬鹿は治らず、道徳を説いても通じないから、「どうしよう、と言わない奴には、どうしてやりようもない」と歎いたのだ。(『新語』慎微2-3)

高祖劉邦

「今上無明王聖主」=”今の世は上にろくな君主がおらず”と書いて、首をちょん切られないのだろうかと他人事ながら心配になるが、前漢まではまだ、こうした骨のある儒者が出る。陸賈は高祖劉邦の旗揚げ時代からの参謀で、言いたい放題に言いつつも、劉邦の創業を助けた。

劉邦死後に呂后の実家が帝国を乗っ取ると、隠居を装って政界に根回しを始め、軍の幹部を焚き付けて、呂后の死去と共に呂氏を打倒、漢の天下を復活させた。儒者嫌いの劉邦も、陸賈のいう事は聞いたらしく、「ろくでもない君主」と言われて許したのはそれゆえだ。

後漢儒
頭は悪いは、人はクズだはの後漢儒者と、そのあたりは全然違う。

https://hayaron.kyukyodo.work/syokai/eireikou/394.html

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