本日の改訂から

論語の本章に関して、古注で包咸は次のように書いている。

註苞氏曰君子之人但病無聖人之道不病人不知已也

包咸
注釈。包咸「君子の人は、聖人の道がないのを気に病み、他人が自分を知らないのを気に病まない。(『論語集解義疏』)

包咸は、前後の漢の間に生きた儒者で、古注の儒者の中では例外的にまじめ人間だが、この言葉は何を言っているのか分からない。世間に聖人=孔子の教えが行き届いてないのを歎いたのか、自分が孔子の教えを実践できないのを歎いたのか。

包咸の生きた時代には、前漢の滅亡と新の悪政があった。さらに新の滅亡に伴う生存の危機に誰もがさらされた時代でもあり、とりわけ食糧難がひどかったらしい。そんな中で書かれたこの一文が、「社会に」孔子の教えが広まらない、との意図で書かれたことは十分あり得る。

だが論語の本章の「能」は、どう読んでも”能力”でしかない。君子が無能だから、世が荒れたということだろうか? だから発想を改めて、『大漢和辞典』にある語釈、”したしむ”のつもりで包咸は書いたのかも知れない。

また清儒の宦懋庸(1842-1892)は、次のように書いている。

古今人材大有大用、小有小用、苟其有用、則皆有能、故君子唯以無能爲病。至於天下之大、何患無知己者哉?

論語 清儒
昔から今に至るまで、人材というものは出来る者は重用され、出来ない者はほどほどに待遇される。もし重用されているなら、それは有能の証しなのだ。だから君子が恐れるのはただ一つ、自分の無能である。天下は広大だから、能さえあれば必ず重用される。無名を歎く必要がどこにあろう。(『論語稽』)

宦懋庸が人生のどの時点でこう書いたか不明だが、百度百科の記述を真に受けるなら、若年時代は天下が荒れて、郷里での科挙の一次試験が受けられず、生涯在野の学者として過ごしたという。若年時の動乱とは、太平天国の乱を指すのだろうが、確かに気の毒ではある。

しかしこうまで高慢ちきなことを書くのはなぜだろう? 不遇ゆえのうっぷん晴らしだろうか。百度百科によれば、世が治まった後に書記官の職をあてがわれたが、「馬鹿らしい」と言って断ったという。

https://hayaron.kyukyodo.work/syokai/eireikou/397.html

この男の話は割り引いて受け取る必要がある。毛奇齢は明末に生まれ、清が成立すると隠れ回ったが、実は殺人を犯して逃げていたらしい。確かに評判の高い学者ではあったが、人を捕まえては馬鹿にするので嫌われていた。

ただし儒者の人気取りで政権を安定させたい清朝にとって、毛奇齢を招くことには政治的効果があり、「博学鴻儒科」=ものすごい碩学の大先生、との名目で朝廷の顧問官に任じられた。言うなれば運がいいだけの男であり、話を真に受けてもよいことになりそうにない。

https://hayaron.kyukyodo.work/syokai/sikan/207.html

すさまじい執念と言うべきか、道士の商道徳が賞賛されるべきか。ただしそれは日本人的感覚と言うもので、「死んだらそれまで」「死ねば悪党もホトケ」という感覚は、中国人には通用しない。「死屍に鞭打つ」の例え通り、死とは住所をあの世へ移すだけだと思っている。

だから始皇帝は兵馬俑を作らせたし、清末の康有為はこういうことを言っている。

沒世、猶沒身也。名者、身之代數也。有是身乃有是名、有其實乃有其華、然身不過數十年、名可以千載。有身之時、人尚有待、無名猶可、至沒世之後、草木同腐、魂魄竝逝、則顧念生前、淹忽隨化、未有不以榮名爲寶者。名在則其人如在、雖隔億萬里億萬年時丰采如生、車服爲之流連、居游爲之慨慕、輯其年譜、考其起居、薦其聲香、頌其功德、稱其姓號、愛其草木、其光榮過于有身時萬萬、故沒世無稱、君子以爲疾也。名蓋孔子大義、重之如此。宋賢固篤于務實者、而惑于道家之攻名、至使天下以名爲不肖、人乃不好名而好利、于是風俗大壞、此則背孔子之義矣。

康有為
死没したと言っても、身体が滅んだに過ぎない。名、つまりその人にまつわるエピソードこそが、体に代わってその人を伝えるのだ。体がこの世にあれば、当然名が生まれる。その人が世にあれば、その名声も世にある。だが体は数十年で滅んでしまう。対して名は千年の長きに残る。

体がこの世にある間は、人にはまだ可能性があり、無名でもかまいはしない。だが死没の後、身は草木同然に腐れ果てて、たましいの重いものも軽いものも枯れ果てるから、生前の思いなどは、すっかり消え果てる。だから死後ももてはやされる人で、生前の名誉が無い人は、これまで一人もいなかった。

名さえ残っているのなら、その人がまだ生きているのと変わらない。億万里、億万年を隔ててても、その人は生き生きと生きている。乗っていた車、着ていた服が、その名残を伝え、住まいや訪れた地が、その名を慕う人のよすがとなる。

さらにはその人の生涯を追ってまとめ、立ち居振る舞いを想像し、その声を聞いたような気さえする。加えてその人の功績を讃え、名前を世に広め、可愛がっていた草木を引き継げば、人の名誉は生前より万倍の万倍も明らかとなる。だから世を去ってから名が無いのを、君子はことのほか恐れたのだ。

名とは、孔子が大義として掲げたほどに重い。宋代の賢者はもちろん、我が身の充実に努めたのだが、道家の隆盛に惑わされて、名などどうでもいいという風潮を天下に広めた。だが名を惜しまない者は我欲に走り、その結果世の人心を荒ませるに至った。これはとりもなおさず、孔子の大義を忘れたからである。(『論語注』)

言っている事とやった事が全然違う。名を惜しむのも命を懸けるのも、全て他人がやるものと決めつけて疑わない。こんな事を言っているから、変法運動に失敗して、譚嗣同ほかあたら若い才能を刑場の露へと追いやり、自分はのうのうと逃げて、生き恥をさらしたのだ。

ともあれ始皇帝から康有為まで、つまり中華帝国の始まりから終わりまで、名にこだわる儒者の執念は続いた。康有為が「道家の隆盛に惑わされて」などと言っているが、宋儒も最後は文天祥のように、「名を惜しんで」滅びていった(→『宋史』崕山の戦い)。

戦時の儒者とはそういう覚悟があるはずで、漢儒の端緒を作ったレキ食其イキも同様だった。司馬遷は記す。

初,沛公引兵過陳留,酈生踵軍門上謁曰:「高陽賤民酈食其,竊聞沛公暴露,將兵助楚討不義,敬勞從者,願得望見,口畫天下便事。」使者入通,沛公方洗,問使者曰:「何如人也?」使者對曰:「狀貌類大儒,衣儒衣,冠側注。」沛公曰:「為我謝之,言我方以天下為事,未暇見儒人也。」使者出謝曰:「沛公敬謝先生,方以天下為事,未暇見儒人也。」酈生瞋目案劍叱使者曰:「走!復入言沛公,吾高陽酒徒也,非儒人也。」使者懼而失謁,跪拾謁,還走,復入報曰:「客,天下壯士也,叱臣,臣恐,至失謁。曰『走!復入言,而公高陽酒徒也』。」沛公遽雪足杖矛曰:「延客入!」

論語 司馬遷

私兵を引き連れた沛公時代の高祖劉邦が、陳留のまちに駐屯すると、酈食其は謁見を願った。まずは定石通り、相手を儒者らしいおべっかでおだてた。

「高陽の賤民、儒者の酈と申します。勝手ながら沛公を拝見しておりますと、世に名が出てからこの方、秦国によって無残に滅ぼされた楚国の復興を助け、天下の悪党を懲らしめておられます。従者どの、お手数ではござるが、沛公にお取り次ぎ下され。天下の計略を申し上げましょう。」

従者が沛公のテントに入ると、近習に足を洗わせているところだった。

沛公「何やら声がしたが、誰か来たのか?」
従者「もっともらしい顔をした儒者が来まして、ぞろぞろとした儒者服を着、かんむりを横ヒモで結んでおります。」
沛公「ケッ。儒者かよ。ワシは天下取りの大いくさに忙しい、帰ってくれと言え。」

従者「…ということでござった。お引き取り下さい。」
酈食其は目を怒らせて、剣を引き寄せて言った。「愚か者! もう一度沛公に言え。儒者ではのうて、高陽の大酒飲みがやって来たとな!」

従者は慌てふためいて、沛公のテントに戻って言った。「あ、あのう、儒者ではなくて、とんでもなく怖いおっさんでした。大酒飲みだと言うております!」

沛公は足を洗うのを止めさせて、指揮杖をドンと床に突いて呼ばわった。「入られよ! お客人!」

(『史記』酈食其伝21)

酈食其の最期は、外交官として敵方に煮殺されて終わるのだが、最期まで名を惜しんで命乞いしなかったという。生き汚いのを否定はしないが、他人を死に追いやってのうのうと生きている儒者や役人には腹が立つ。そういうバケモノに人間を仕立てるからくりが、儒教にはある。

中国人は頭が悪すぎる。人は死ねばそれまでだ。来世を語る奴にだまされている。二度と無いこの世だからこそ、人は精一杯生きられる。我が身を煮殺す釜を、笑い飛ばせたのはそれゆえだ。ブッダはそれに気付いていたが、まわりが余りに頭が悪く、来世を語る他なかった。

清朝は本来、太平天国の乱で滅びているはずだった。領民の四人に一人を死なせて生き延びている政権など、世界史にありはしなかった。同等の悲惨な例は、パラグアイの三国同盟戦争ぐらいだろうか。清が生き延びたのは、アヘンを売って儲けたい列強の都合に過ぎない。

それ故だろうか、康有為ら清末の政客は、何とも見込みが甘い者が多い。反乱さえ起こせば全て思い通りに行くと考えた、二・二六事件の叛乱軍将校と似通っている。康有為も叛乱将校も、反乱するからには君主を捕らえなければいけなかったのだ。何とも甘い。甘すぎる。

ゾンビ状態の清朝と、𠮷外儒者の威張る日本帝国、共にファンタジーが過ぎるようである。

https://hayaron.kyukyodo.work/syokai/eireikou/398.html

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