本日の改訂から

この世間師も、国家神道の中共版みたいなのをブログで振り回している。先の大戦時、中ソの捕虜収容所で真っ赤なデタラメを吹き込まれ、帰国後に日本でアホの粉をまき散らした兵隊さんがずいぶん出たが、虜囚でもないのにこの世間師、あまりに馬鹿すぎて話にならない。

https://hayaron.kyukyodo.work/syokai/youka/post-15441.html

古注の後漢儒者は、論語の本章をアホウのように繰り返しているだけで、何ら聞くに値することを言っていない。やはりアホウなのであろう。

註君子責己小人責人也

論語 古注 何晏
注釈。君子は自分を責め、小人は人を責めるのである。(『論語集解義疏』)

次に新注の宋儒は、いつも通りSM趣味に没頭している。

謝氏曰:「君子無不反求諸己,小人反是。此君子小人所以分也。」楊氏曰:「君子雖不病人之不己知,然亦疾沒世而名不稱也。雖疾沒世而名不稱,然所以求者,亦反諸己而已。小人求諸人,故違道干譽,無所不至。三者文不相蒙,而義實相足,亦記言者之意。」

謝良佐 論語 楊時
謝良佐「君子は必ず自分を責めるが、小人はその反対だ。これが君子と小人の分かれ目だ。」

楊時「君子は人の理解を求めないが、名も無く世を去るのは嫌がる。ただし嫌がるにしても、そうならない原因を自分だけに求める。だが小人は人のせいにする。だから名誉欲しさにどんな悪事でも仕出かす。このありさまを論語では三つの別の言い方で説いており、文章は似ていないが、言っている事は実は同じで、三つあい待って一つの真理を記したのだ。」(『論語集注』)

朱子はこのように楊時の言葉を引用しておきながら、別の本で疑うようなことを書いている。

或疑楊氏之説不太巧乎曰雖巧而有益於学者

論語 ある人1
ある人「楊時の言っていることは、回りくどくてわけが分からない。」
朱子「確かにその通りだが、まあ勉強する人には役立つだろう。」(『四書或問』)

https://hayaron.kyukyodo.work/syokai/eireikou/399.html

『学研漢和大字典』と『字通』で文字の淵源が乖離しているが、いずれにせよ”われ”の語義が原義でないことは共通している。近音で”われ”を意味しうるのは、『大漢和辞典』に所収の限りでは「台」のみで、カールグレン上古音はdi̯əɡ(平)またはtʰəɡ(平)。前者の韻目は「之」で、この音で「台」に”われ”の意があると『学研漢和大字典』はいう。

従って台di̯əɡ(平)→己ki̯əɡ(上)の音通ということになるが、音の共通が75%となるので、否定しがたい。なお「已」”止む”の字の、去声のカ音は不明だが、上声はzi̯əɡ。

https://hayaron.kyukyodo.work/gosyaku/ko.html#%E5%B7%B1

”他人”を意味しうることについては、現代日本語でも「ひと」を”他人”の意として用いるのと共通しているが、英語のhumanにその語義があるという話は聞かないので、人類の言語に普遍的現象とは言えない。

「人」と近音で”かれ”を意味する漢字は、『大漢和辞典』によれば「爾」ȵi̯ăr(上)のみ。音素の共通は50%で、音通するとは断じかねる。『学研漢和大字典』が「もと身近な同族や隣人仲間を意味した」と言うのは、どのような根拠によるものなのだろう。

https://hayaron.kyukyodo.work/gosyaku/si3.html#%E4%BA%BA

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