本日の改訂から

論語の本章は、前漢の儒者があえて解読不能な章を論語にねじ込むことにより、利権の拡大を図った悪質な捏造。儒者が利益のためなら何でもする没義道漢だった事例はこれまでいくつも紹介してきたが、本章もまた「わけが知りたかったら金を出せ」と言っているのである。

従ってあまり文章の真意に迫る必要は無く、間抜けでもあるが、一応の考察として、『漢書』芸文志のリストにある「伝」のたぐいから、適当に切り出して論語に貼り付けたのだろう。定州竹簡論語の時点で「欠文」とあるからには、解読不能を承知で入れたのだ。

入れたのはほぼ間違いなく、前漢武帝期に儒家の権益拡大に熱心で、論語の水増しをせっせと行った董仲舒だろうが、もちろん董仲舒にも、論語の本章に何が書いてあるかは分からなかったはず。だが、それでいいのである。

西田幾多郎
近代日本のネズミ男、西田キタローは、「滅茶苦茶な日本語で書いて誰も読めないようにする」という流儀を文系学界に持ち込んだ。動機は董仲舒と同じ、読めないようにして恐れ入らせ、読める振りをしたい馬鹿者どもから金を取り、自分らの利益拡大を図るためである。

これは西田が京都帝国大学教授という公職にあることを利用して、世間師興行を行ったのだが、いわゆる京都学派は漢学に限ると、内藤湖南と宮崎市定以外、ろくな事をしていない。西田はとりわけ欲が強く、あまりの人間の卑しさに、すり寄ろうとした東条英機にも嫌われた。

だが西田は自分でも何を言っているか知らず、ろくな事も書きはしなかった。日本でのドイツ哲学業界も同様らしい。訳者は東大の理科に進んだ者から直に聞いたが、必須科目で取らされたカント哲学の講義で、余りの荒唐無稽に学生がわらい出し、講義が成り立たなかったという。

駒場に入ってすぐのことだと言うから、まだ高校数学を修めたに過ぎないが、それでも嗤うしかないほどデタラメだったらしい。阿川弘之が海軍の士官教育で、𠮷外神主の講義を受けさせられて、同じく学生が笑い出し、講義が成立しなかった話は以前記した(論語憲問篇11付記)。

日本の団塊世代がマヌケにも担ぎ回ったジャック=ラカンによる、同様の詐欺も記した(論語憲問篇15付記)。数理が通用しない者の間では、このような馬鹿げた話が堂々とまかり通る。論語の本章もその一環で、文系業界で飯を食う者に普遍的な事例の、その一つに過ぎない。

https://hayaron.kyukyodo.work/syokai/eireikou/404.html

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