本日の改訂から

論語の本章も、おそらくは董仲舒による創作。儒者は論語の本章に関して、次のような解説を加えている。

曰然則婦人之仁匹夫之勇强弱不同而皆為不忍何也曰忍之為義有所禁而不發焉爾婦人之仁不能忍其愛也匹夫之勇不能忍其暴也

論語 ある人1
ある人「女の仁義とバカの武勇は見た目の強弱は違っても、辛抱が足りない点では同じだと朱子先生は仰いますが、いったどのような辛抱足らずなのでしょう。」

朱子「辛抱すること自体を”義”という。これはやらないぞ、という固い決意があって、そのことについてブツブツ文句を言わない。女はすき好みに引き回されて、そういう辛抱が出来ない。バカは暴れたい欲求に引き回されて、そういう辛抱が出来ない。」(『四書或問』巻二十27)

沛公因項羽王之於漢中而欲攻項羽向非蕭何之諫則亂大謀矣是匹夫之勇也如趙王太后愛其少子長安君不肯使質於齊向非左師觸龍之言則亂大謀矣是婦人之仁也

沛公時代の漢の高祖劉邦は、項羽の指図で関中(=もとの秦の領域)で王になった。ところが欲を起こして項羽を攻めようとしたところ、蕭何に”かねがありません。今はダメです”とたしなめられた。これが”大謀を乱す”であり、”バカの武勇”である。

趙王の太后は、末の方の息子である長安君を、強国の斉が”援助してやる代わりに人質によこせ”と言ってきたとき、イヤじゃダメじゃと泣きわめいた。そこへ老元帥の触竜(觸龍)がやってきて言いくるめられた。これもまた”大謀を乱す”であり、女の仁義というものだ。(『四書蒙引』巻八)

訳者は歴史ものとして、余計な事を書かずばなるまい。劉邦が一時関中で王になったのは確かだが、項羽から与えられたのは関中の西の果ての漢中で、関中の大部分は項羽に下った旧秦の将軍等が受け取った。頭にきた劉邦は項羽に反抗を企てたが、一党の財布を預かる蕭何と将軍の韓信に、「項羽はバカだ。どうせあちこちで反乱が起きる。そのどさくさに紛れて取ってしまえるまで待った方がいい」と言われて、とりあえずは項羽に従う振りをした。

長安君は、孝成王(位BC265-BC245)の弟で、当時の趙は強大化した秦軍にガリガリと西の領土を削り取られて耐えきれなくなり、即位したばかりの王は東方の大国である斉に救援を求めた。だが趙の足下を見た斉は、出来ないのを承知で長安君を人質に寄こせと言ってきた。要するに対岸の火事で、秦と事を構えたくなかったのである。

斉の要求を聞いた母親の太后は、「復言長安君為質者,老婦必唾其面」=”長安君を人質に出すと言いだした奴には、わらわがツバを吐きかけてやるぞえ”と言って抵抗した(『史記』趙世家95)。ババアにはジジイを、と気付いた朝臣は、老元帥の触竜に説得を願った。

自謝曰:「老臣病足,曾不能疾走,不得見久矣。竊自恕,而恐太后體之有所苦也,故願望見太后。」太后曰:「老婦恃輦而行耳。」曰:「食得毋衰乎?」曰:「恃粥耳。」曰:「老臣閒者殊不欲食,乃彊步,日三四里,少益嗜食,和於身也。」太后曰:「老婦不能。」太后不和之色少解。

(太后は自分を説得に来たと知って、身構えて老元帥を迎えた。)

触竜「私めも老いぼれまして、よろぼうて歩くのが精一杯になりました。ご無沙汰しましたのもそれゆえですが、太后さまもそれがし同様、歳のせいであちこち痛いの苦しいのとお悩みかと存じましたが、この世の名残にと見舞いに上がりました。」

太后「わらわは篭を担がせて出歩いておるから、そのような懸念は無用じゃ。」

触竜「お食事はいかがでございますか?」
太后「粥を煮させて食っておる。」

触竜「それはいけませんなあ。それがしは無理にも普通にメシを食い、無理でも散歩するように励んでおります。体にはその方がよいようで。」
太后「わらわには無理じゃ。」(そう言って太后はやや表情を和ませた。)

左師公曰:「老臣賤息舒祺最少,不肖,而臣衰,竊憐愛之,願得補黑衣之缺以衛王宮,昧死以聞。」太后曰:「敬諾。年幾何矣?」對曰:「十五歲矣。雖少,願及未填溝壑而託之。」太后曰:「丈夫亦愛憐少子乎?」對曰:「甚於婦人。」太后笑曰:「婦人異甚。」對曰:「老臣竊以為媼之愛燕后賢於長安君。」太后曰:「君過矣,不若長安君之甚。」左師公曰:「父母愛子則為之計深遠。媼之送燕后也,持其踵,為之泣,念其遠也,亦哀之矣。已行,非不思也,祭祀則祝之曰『必勿使反』,豈非計長久,為子孫相繼為王也哉?」太后曰:「然。」

触竜「ところで太后さま、今日は一つお願いがあって参りました。それがしの末の息子でござるが、出来損ないでして、このままでは仕官もおぼつきませぬ。ですがこれがそれがしには、可愛ゆてなりませぬ。どうか王宮警備隊の端くれにでもお採り下されば、安心してあの世へ行けるのでござりまする。」

太后「よかろう。歳はいくつになる?」
触竜「十五になりまする。まだひよっこでございますが、使い走りにでもお使い下されば。」

太后「うむ、引き受けた。ところで元帥どの、男でもそんなに息子が可愛ゆいかえ?」
触竜「それはもう、ご婦人方以上でござりまする。」

太后「ホホホ。息子を愛する母の愛情には勝てまい。」
触竜「そうでございましょうか。太后さまは男の子の長安君さまより、女の子の燕姫さまの方を可愛がっておられたかと思っておりました。」

太后「それは間違いじゃ元帥どの、長安君の方が可愛い。」
触竜「左様でございますか。それがしも太后さまも人の親、子への思いはよくよく考えてのことでございますなあ。太后さまが燕姫さまの嫁がれるのをお送りになったとき、何度も泣いて見送りながら、今は”決して出戻ってくるのではないぞ”と毎日神前で祈っておられますのは、そのお気持ちの表れかと存じまする。」

太后「その通りじゃ。」

左師公曰:「今三世以前,至於趙主之子孫為侯者,其繼有在者乎?」曰:「無有。」曰:「微獨趙,諸侯有在者乎?」曰:「老婦不聞也。」曰:「此其近者禍及其身,遠者及其子孫。豈人主之子侯則不善哉?位尊而無功,奉厚而無勞,而挾重器多也。今媼尊長安君之位,而封之以膏腴之地,多與之重器,而不及今令有功於國,一旦山陵崩,長安君何以自託於趙?老臣以媼為長安君之計短也,故以為愛之不若燕后。」太后曰:「諾,恣君之所使之。」於是為長安君約車百乘,質於齊,齊兵乃出。

触竜「ところで我が王殿下のご先祖様、その三代前の子孫で、家系が絶えていない家はありませんね?」
太后「そう言われるとそうじゃな。」

触竜「今の貴族諸公、いずれも三代続いている家は聞いたことがございません。」
太后「わらわも聞かぬ。」

触竜「自分で身を滅ぼした者もおれば、子孫に因果を巡らせた者もおりましょうが、誰も彼もがバカではなかったはず。それなのに家を滅ぼしたのは、身分が高いのに仕事をせず、実入りがいいのに働かず、財産ばかり蓄えていたからでございましょう。

太后さまは長安君さまを可愛がり、実入りのいい領地を与え、国宝をどっさりお下げ渡しになりましたが、さっぱりお仕事をなさったという話を聞きません。もしこの国が滅びるようなことでもあれば、長安君さまはどうやって、生き残る事が出来ましょうか。

太后さまの可愛がりようは、それがしには却ってあだになるのではと心配でございます。どうして燕姫さまの時と同じように、道理をお考えになりませぬのか?」

太后「元帥どの、そなたの言う通りじゃ。長安君を、好きなようにするがよい。」

こうして長安君は車百両と共に斉へ人質に出向き、斉軍は趙の救援に出陣した。(『史記』趙世家)

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