本日の改訂から

なお中国の古典では「過」の例として、「宋襄の仁」とバカにされた宋の襄公が挙げられている。

過而不改,又之,是謂之過。襄公之謂也。

間違えても改めず、また間違いを犯す、これが間違いである。襄公はそう言われて笑いものになった。(『春秋穀梁伝』僖公二十二年4)

春秋の世は、周の幽王が国を一旦滅ぼして始まり、その政治的混乱に対する最初の答えが、斉の桓公と管仲の君臣コンビが示した「覇者」だった。だが管仲が死ぬとあっという間に斉は内乱状態となり、桓公は餓死させられた。その政治的空白に乗じたのが宋の襄公である。

宋国は前王朝殷の末裔であり、このことから他の諸侯国より気位が高かった。加えて襄公は斉の内乱を収めて後見役として斉の孝公を即位させたため、桓公を引き継ぐ「覇者」を気取った。それと気付かぬ諸侯は始めは付き合っていたものの、やがて斉公でさえ見限り始めた。

一族からも意見された。だがそれでも改めなかった。

焦った襄公は、当時北上の勢いを盛んにしていた南方の大国・楚を、覇者のつもりで迎え撃った。何事も鷹揚に構えるのを「仁」だと勘違いした襄公は、川を挟んで対陣した楚軍が、渡河するのをあえて見過ごし、岸に上がった混乱をあえて見過ごした。これを宋襄の仁という。

その戦で負った傷が元で襄公は死ぬのだが、春秋の世に隠れなき名バカ殿である。

https://hayaron.kyukyodo.work/syokai/eireikou/408.html



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