本日の改訂から

論語の本章は、饑饉が来てもまず飢えるのは耕している当人の農民=大多数の庶民であり、税をはたり取って食う立場の役人が飢えるのは、その後であることを示している。中国における権力の無慈悲と、役人という生物の冷血をここに見て取ることが出来る。

それをオトツイの方角に曲解し、庶民には耳障りよく、支配階層へはありもしないメルヘンを宣伝するように書き換えたのは、上掲の通り新注をまとめた朱子で、朱子は役人としては大して出世しなかったから、この書き換えは世間師興行のためでもある。

だが明清帝国では、これが帝国の公認解釈として勅許を得た。清の雍正帝の時代、孝行者の隠者として帝自ら世間に宣伝した焦袁熹が、本章についてこんな事を書いている。

若使謀道謀食了不相涉則謀道之君子不須以謀食疑之惟夫謀食莫如耕而餒在其中竟有時不得食也謀道莫如學而祿在其中可以兼得其食也然而君子之心則憂道不憂貧也曷嘗為祿而學乎不然則以道而謀食所謂修天爵以要人爵者耳其不流為小人之歸者幾希

論語 清儒
もし「謀道」=道の実現を悩むことで食にありつくことを求めたなら、それはうまくいかない。それゆえに道を悩む君子は、食にありつくことや、その機会を必ずしも求めはしないのだ。

考えてみれば、食を求めて自ら耕しもしないなら、飢えて当たり前であり、つまりは飢える時が必ずやって来る。道を求めて自ら学ばなくとも、俸禄はついて回るから、道も食も共に得られる。だから君子は、道を憂いても貧乏を憂いないのだ。どうして食のために学んだりしようか?

仮に俸禄がついて回らないにしても、道を求めることで食を求めるのは、孟子が言った「天爵」(君主ではなく天が認めてくれる爵位)の修行に励み、それを背景にして世の君主に爵位を求めることに違いない。天爵を修めもしないで食べ物ばかり欲しがる小人とは、どだい考えが違うのだ。(『此木軒四書説』巻四)

言っている事がメルヘンな高慢ちきなのは言うまでもないが、これは焦袁熹が思っていたことと言うより、そう書くと康煕帝が喜ぶようなこと、と言うべきだろう。

https://hayaron.kyukyodo.work/syokai/eireikou/410.html

論語の本章は、「耐」が漢儒のデタラメによる誤字だとすると、孔子の肉声の可能性が出て来る。

子曰、「知及之、仁弗能守、雖得之、必失之。知及之、仁能守之、不壯以位之、民不敬。知及之、仁守之、壯以位之、動之不以禮、未善也。」

論語 孔子 水面キラキラ
知識が十分にあっても、それで貴族らしい行動が出来ないようなら、その知識は無駄であり、やがては忘れてしまう。

知識が十分にあって、それで貴族らしい行動が取れても、浪人のうちは権力の後ろ盾がないから、民は従わない。

知識が十分にあり、それで貴族らしい行動を取れ、仕官して権力の後ろ盾があっても、貴族としての原則に従えないなら、まだ十分とは言えないね。

話は至極もっともであり、存外これが正解なのではと、訳者は思っている。蛇足ながら孔子生前の「仁」とは”貴族らしさ”であり、本章の「知」とは貴族に必要な知識や技能、すなわち孔子塾で教えた、読み書きや算術、外国語、武術を指す。従って下記論語八佾篇と合致する。

子曰、「人而不仁、如禮何。人而不仁、如樂何。」

論語 君子 諸君 孔子
仕官するつもりもないのに、貴族の心得や古詩(=外国語)など学んで何になる。ウチは暇を持て余した連中のカルチャースクールではないぞ。(論語八佾篇3)

孔子 革命家 孟子
孔子塾は武装した革命政党でもある。「仁」を「仁義」に書き換えて、”情け深さ”のような意味だとしたのが孔子より一世紀後の世間師・孟子であることはたびたび記したが、それをわきまえておかないと、本章も八佾篇ももろともに、論語に何が書いてあるかさっぱり分からないままで終わる。それで生活に何の差し支えもありはしないが、ただ一つ間抜けではある。

https://hayaron.kyukyodo.work/syokai/eireikou/411.html

文字的には”受ける”と解する以外に無いが、何を受けるのか決まらないと、論語の本章は読み解けない。本章はおそらく漢儒による創作であることから、漢儒の意図を計りながら語義を決定する以外にない。

及川古志郎
やむを得ず、真にやむを得ず、と、ばかたれ海軍大臣だった及川古志郎のような言い訳をしつつ、時代が近い古注を参照してみよう。


論語の本章を、「也」の字を全て詠歎「かな」と解して、無理に孔子の肉声と解することは可能だが、やはりそれは無理である。あえて訳せばこうなる。

論語 孔子 水面
諸君は少しだけ学べばいいというものではないのだよ。学ぶなら、とことん奥まで学ぶのがよい。貴族に成り上がるのは、そんなに簡単なことではないからだ。だからいつまでも、世の庶民と同じ気持ではいけない。つまりちょっとだけ学んで得意がり、学問や技能の奥深さを知らないままで、修業を終えてしまうようなのは。

なお上掲『淮南子』の修辞が面白いので、前後部分含め訳出する。

人主之居也,如日月之明也。天下之所同側目而視,側耳而聽,延頸舉踵而望也。是故非澹薄無以明德,非寧靜無以致遠,非寬大無以兼覆,非慈厚無以懷眾,非平正無以制斷。

是故賢主之用人也,猶巧工之制木也,大者以為舟航柱梁,小者以為楫楔,修者以為櫚榱,短者以為朱儒枅櫨。無小大修短,各得其所宜;

規矩方圓,各有所施。天下之物,莫凶於雞毒,然而良醫橐而藏之,有所用也。是故林莽之材,猶無可棄者,而況人乎?

今夫朝廷之所不舉,鄉曲之所不譽,非其人不肖也,其所以官之者非其職也。鹿之上山,獐不能跂也,及其下,牧豎能追之;才有所修短也。

是故有大略者,不可責以捷巧;有小智者,不可任以大功。人有其才,物有其形,有任一而太重,或任百而尚輕。是故審豪厘計者,必遺天下之大數;不失小物之選者,惑於大數之舉。譬猶狸之不可使搏牛,虎之不可使捕鼠也。

今人之才,或欲平九州,並方外,存危國,繼絕世,志在直道正邪,決煩理挐,而乃責之以閨閣之禮,奧窔之間;

或佞巧小具,諂進愉說,隨鄉曲之俗,卑下眾人之耳目,而乃任之以天下之權,治亂之機。是猶以斧劗毛,以刀抵木也,皆失其宜矣。

君主が世に君臨する様は、日や月が明るく輝くようなものである。天下の人々が皆一様に、目を向けて見、耳を向けて聞き、首を伸ばし背伸びをして見つめるのである。だから無欲でないと有り難くなく、静かでないと遠方までなびかず、優しげでないと広く知られず、慈悲深くないと大勢が懐かず、公平でないと人が従わない。

だから名君が臣下を選ぶには、名工が木材を使い分けるのと同じで、大物は船や柱にし、小物は舵やくさびにする。柾目の通ったものは床几や垂木に用い、通らないものは小物やとがた、ますがたに用いる。大小・通不通にかかわらず、適材適所を心得るのだ。

定規やコンパスで罫書きするにも、適した材を選ぶものだ。猛毒であるウズでさえ、名医が尊んで薬袋に収めるのは、その効き目を知っているからだ。だから材木にもいろいろあって、捨てていいものなどありはしない。人材はなおさらだ。

いま朝廷が任用せず、世間も褒め讃えない者でも、その人の出来が悪いとは必ずしも言えない。官職にある者も、必ずしも適任とは言えない。山に上がってしまったシカは、崖を上下できなくなったカモシカが、山を下りてしまったのと同じで、はな垂れ小僧でも追い回せる。同様に人には向き不向きがあるのだ。

だから大きな計画を胸に抱いている者に、すぐさま効果が出ていないと責めてはならないし、小知恵が回るだけの者に、大仕事を任せてはいけない。人には向きがあり、材木には形がある。ある者にある仕事を一つ任せただけでも青息吐息になると同時に、別の者なら百任せても鼻歌を歌っていることはあるものだ。

だからわずかな目盛りを読み取りたがる者は、必ず天下の大仕事をしないままで終わるし、ちまちました事だけに目が行く者は、大仕事の邪魔ばかりするのだ。これは丁度、ネコにウシを捕らせるようなものであり、トラにネズミを捕らせるようなものである。

いま世にある人材も、あるいは天下を平定し、異国をも従わせ、滅びかかった国を救い、断絶した国を復興させ、ひたすら真っ直ぐ正直にと志し、こんがらかったしがらみを断とうとしているのに、ちまちました宮廷作法が出来ていない、煩瑣な礼儀が出来ていないと攻め立てられる。

その一方でちまちました悪知恵が働き、権力者の気持ちが良くなることばかり言い、田舎者の因習に首まで漬かり、世間の馬鹿さ加減に迎合しているというのに、天下を左右する重職に就いていたりする。これは国が滅ぶきっかけに十分だ。これはつまり、斧で髭を剃り、カミソリで大木を切り倒そうとするようなもので、全く間尺に合っていない。

https://hayaron.kyukyodo.work/syokai/eireikou/412.html



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