本日の改訂から

「隠れた賢者」とは言い換えると、王朝にとってテロリスト予備軍に他ならない。清朝は少数の満洲人が膨大な漢人を治めるという事情から、こうやって下手に出て不満の回収に努めた。これは清朝のみならず歴代皇帝にとって、生死に関わる大問題だったからでもある。

中華帝国は煎じ詰めるとどれも同じで、支配層の強欲を下へ下へと押し付ける収奪機構に他ならないから、王朝は常に反乱の危険にさらされる。これは共和政になった今も変わらない。しかも中国のひねくれインテリは日本人のように、大人しく配所の月を眺めたりしない。

世をはかなんで身投げもしない。その少なからぬ者がテロに走り、反乱を煽った。叛乱軍の親玉は、ひねくれ知識人自身(ex.李元昊)でなければ筋肉ダルマだが、その場合も必ず参謀役にひねくれ知識人がいて悪知恵を授け(ex.張良)、どうかすると王朝は滅び帝室は皆殺しに遭う。

『鹿州公案』という、清の雍正帝期の記録がある。海沿いの寒村地帯に赴任した知事の日誌だが、王朝盛時のこんな田舎にもちゃんと山賊と海賊が揃っていて、必ずひねくれ知識人が参謀にいた。こういう連中も機会が無いだけで、時運に乗ればもちろん王朝を乗っ取る気でいた。

https://hayaron.kyukyodo.work/syokai/eireikou/402.html

「知事」のように、「知」に”仕事を担当する”の語義が出来たのは後世のことで、原義は”誓う”→”知る”。ただし本章は後世の創作だが、下記する「受」の解釈と連動して、やはり知覚することや理解することを指す。

「知」に”仕事を担当する”の語義が出来たのは唐代のことで、「知県」「知枢密院」などの官名が現れた。前代を記した『隋書』には、「知政」という言葉はあるが官名としては見られず、”担当する”の意とも断じ得ない。しかもその編纂は唐になってから太宗の勅命による。

宋儒の朱子は唐以降の語義に添った解釈を新注に書いたが、論語の本章が創作された漢代、まして孔子の生きた春秋時代にありえない、「知」に”担当する”の語義を遡及させた。

上掲従来訳や、現代中国での解釈は新注を引き継いでいるのだが、以上の様な事情で全くの誤りである。

https://hayaron.kyukyodo.work/syokai/eireikou/412.html

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