平時は終わった

昨日、富山で刃物男が出、警告を無視して警官に迫ったため、胸を撃たれて死んだらしい。当局も「適切な発砲だった」と言って済ませたようだ。半世紀前、殺人も辞さない団塊どもが国中で暴れ回った際、親玉が「同胞相討たずだ」と言った同じ組織とは思えない。

個別のことを言えば、たかが庖丁相手にお巡りとあろうものが、銃を取り出すとは無能極まるし、ビビって撃ったにしても、いきなり胸とは下手くそ極まる。団塊ども相手に鎮圧に当たった総師範先生が、「警察比例の原則」を熱っぽく語っておられたのを久しぶりに思い出した。

九去堂ごときには何もできぬが、平時は終わったと明らかに知った。甘やかされ、つけ上がった学生どもに戦車を突っ込ませた中国やら韓国やらと、どこが違うのか。犯罪防止の効率を考えれば、さっさと撃ち殺してしまえということなのだろうが、それは蛮族のすることである。

人を殺したライフル魔にオタついていた昭和の警察が無謬とは言わない。だが人を殺してもいない人間を撃ち殺しておいて、「適切だった」としか言わない者は、人を殺して平気な野蛮人に他ならない。合理化と自他の尊厳を守ることは、もともと矛盾しないはずのだが。

かかるちんこ役人が始めた馬鹿げた戦争で、日本人は大変な目に遭ったのを忘れたらしい。



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