本日の改訂から

論語 曽子 ウスノロ
論語が武士の必須教養となった江戸時代、”バカ”を意味する文語として「下愚」が用いられた。

惣て下愚成ものは、強きを以て勇なりと思ふ、其是非にかゝわる事なく、彼等が仲間の頭と呼ぶものをみるに、かよふの喧嘩などあれば、町内に入用をかけ、茶屋にて、仲直りの和談のとて、莫大の物入をかけ、其払を茶屋へは遣さず、己が方へ引込、博奕或は酒食に遣ひ捨る、是を催促すればあたをなすゆへ、茶屋も酒屋も穏便にして難渋す、都て彼等は常に絹布などを著し、或は白銀の多く付たる烟草入の大なる抔を提て晴とす、弱きを倒し、強きを恐る、いにしへの男伊達と反する事尤甚し。(加藤曳尾庵『我衣』文化六年)

日本語「阿呆」は近松門左衛門にもあるというから由緒正しい罵倒だが、「馬鹿」は判然としない。秦の二代皇帝の故事、「鹿を献じて馬となす」が語源というのは嘘くさい。馬「バ」は漢音だが(語釈)、鹿「か」は漢音でも呉音でもなく、日本語の訓読みの略だからだ(語釈)。

趙高欲為亂,恐群臣不聽,乃先設驗,持鹿獻於二世,曰:「馬也。」二世笑曰:「丞相誤邪?謂鹿為馬。」問左右,左右或默,或言馬以阿順趙高。或言鹿(者),高因陰中諸言鹿者以法。後群臣皆畏高。

論語 史記
宦官で宰相の趙高は国を奪おうと企んだが、高官たちの反撃を恐れ、それを封じるために一芝居打つことにした。

ある日朝廷に鹿を連れてきて二世皇帝に献上し、「馬でございます」と言った。皇帝は笑って「馬鹿を申すな。鹿ではないか。皆の者、そうであろう?」と言うと、一部の近臣は黙ってしまい、一部の近臣は「いや、宰相殿の言う通り、馬でございます」という。だが「仰せの通り鹿でございます」と言った者もいた。

趙高は「鹿だ」と言った者に片端から濡れ衣を着せて処刑したので、群臣は震え上がって趙高の言うがままになった。(『史記』秦始皇本紀57)

なお漢語で「馬鹿」はシカの俗語であり、現代中国語で「马鹿マールー」は、アカシカを意味する。
馬鹿 大漢和辞典

https://hayaron.kyukyodo.work/syokai/youka/post-14824.html

孔子、貧且賤、及長、嘗為季氏史、料量平。嘗為司職吏、而畜蕃息。由是為司空。

論語 孔子事跡図解(12)
(若き日の)孔子は貧しく身分も無かったが、成長すると季孫家の下っ端書記に就職し、配属された倉庫で正確な帳簿を付けた。そこで(恐らくは魯国政府の)書記頭に任じられたが、任された牧場の家畜を肥え太らせた。それが評判となり、(建設相兼法相を世襲した孟孫家の部下として)土木監督官兼刑務所長に任じられた。(『史記』孔子世家)

孔子は巫女の私生児という社会の底辺に生まれながら、巫女の子ゆえに春秋時代では貴重な技能である読み書きが出来たので、下っ端とは言え役人になれた。書記は現代の共産圏では閣僚を意味するが、論語の時代は下っ端役人でしかなく、政治の主役は領主貴族が担っていた。

字の読めない上級貴族もいたのに対して、書記は職人の一種と捉えられていた。ただし論語の時代の職人は商人と共に都市の市民であり、戦時に従軍の義務がある代わりに一定の参政権を持っていた。孔子は貴族の端くれに列したのである(→春秋時代の身分秩序)。

引用文中で「司空」とあるのは、論語の時代にそう言ったか疑問はあるものの、史実とすれば空=うつろなところ(→語釈)に罪人を閉じこめることを司る職で、春秋時代の囚人は諸侯国にとって常備の労役集団でもあったから、治水や築城などの土木工事も管掌した。

その長官を大司空と言い、魯国門閥家老家の一つ、孟孫家が数代世襲していた。孔子はかつて孟孫家先代の目に止まり、跡継ぎの孟懿子とその弟である南宮敬叔の家庭教師を務めたことから、部下として働くにも気心の知れた関係だった。そこで洛陽留学の推薦を受けた。

魯南宮敬叔、言魯君曰、「請與孔子適周。」魯君與之一乘車兩馬一豎子、俱適周問禮。蓋見老子云。

論語 南宮括 子容 論語 魯昭公
南宮敬叔が殿様に言った。「孔子先生とともに、周(の都洛邑)へ行かせて下さい。」殿様の昭公は車一両、引き馬二頭に、お付きの少年一人を付けて貸し与えた。敬叔と孔子は共に上京し、貴族としての作法を学んだ。老子に入門したと言われている。(『史記』孔子世家)

この留学経験が無かったら、孔子は偉大な教師としての人生を歩めなかった。

https://hayaron.kyukyodo.work/syokai/eireikou/416.html

論語の本章は、もし孔子の肉声なら「生まれつきの身分や財産、外見が何だって言うんだ。自分で善くなろうとする心を、私はひたすら手助けするだけだ!」という、まことに孔子らしい発言(→孔子はなぜ偉大なのか)なのだが、どうやり繰りしても春秋時代に遡れそうにない。

本章は定州竹簡論語にあることから、前漢宣帝期にはあったことになるが、同じ様な考え方は戦国最末期の『呂氏春秋』にも見える。

先王之教,莫榮於孝,莫顯於忠。忠孝,人君人親之所甚欲也。顯榮,人子人臣之所甚願也。然而人君人親不得其所欲,人子人臣不得其所願,此生於不知理義。不知理義,生於不學。學者師達而有材,吾未知其不為聖人。聖人之所在,則天下理焉。在右則右重,在左則左重,是故古之聖王未有不尊師者也。尊師則不論其貴賤貧富矣。若此則名號顯矣,德行彰矣。故師之教也,不爭輕重尊卑貧富,而爭於道。其人苟可,其事無不可,所求盡得,所欲盡成,此生於得聖人。

聖人生於疾學。不疾學而能為魁士名人者,未之嘗有也。疾學在於尊師,師尊則言信矣,道論矣。故往教者不化,召師者不化,自卑者不聽,卑師者不聽。師操不化不聽之術而以彊教之,欲道之行、身之尊也,不亦遠乎?學者處不化不聽之勢,而以自行,欲名之顯、身之安也,是懷腐而欲香也,是入水而惡濡也。

呂氏春秋
いにしえの聖王の教えは、忠孝を励まさずにはいられない。忠孝は、世の君主や親が求めて止まない道徳であり、名声と出世は、世の子や臣下が求めて止まない利益である。だが君主も親も思い通りにはならず、子も臣下も願い通りにはならない。

なぜなら人はただ生まれただけでは、世の道理を知らないからだ。その無知はひとえに、勉強しないことにある。だがその道理を学ぼうにも、世の教師には利口もいればバカもいる。そんな中で教師と言えば、やはり聖人が一番だと私は思うのだ。

聖人がこの世にいたならば、世の中はうまく治まるのだ。例えどこに居ようと、聖人は重んじられたのだ。だからいにしえの聖王だろうと、師匠と仰ぐ聖人を必ず頂いていた。そうやって師を尊ぶからには、その師がどんな生まれか、いくら財産を持っているかなどということは気にされなかった。

だからそうした師の名は天下に轟き、だからこそその教えは真に受けられ、効果があったのである。それだけに師もまた教える相手の身分や財産などは気にかけず。ただまじめに自分の教説に従うかどうかを気にかけた。教説に従いさえするなら、どんな者にも教えを伝授した。だから忠孝という世の需要も、聖人の教えがあってこそ達成されるのだ。

聖人の特徴と言えば、とにかく物覚えが良いことで、物覚えの悪い者で、天下の名士になった者は一人もいいない。物覚えが良くて師匠を敬うから、師匠を尊んでその言葉や技の体系を信じた。

だが押しかけて教えに来るような者は誰も教えられず、偉そうに師匠を呼びつける者も教えを理解しない。自分に自信が無い者の言葉は相手にされず、師匠を馬鹿にする者は聞く気が無いからだ。

ダメ教師がいくら教授法の研究に励み、バカ生徒に無理やり教えようとしても、尊敬され話を聞いて貰えるようになるのは、とうてい無理な相談だ。

同様にバカ生徒がまるで教わる気持を持たず、勝手なデタラメをやりまくっているのに、名声を得、安楽な生活がしたいと願っても、それは肥溜めにかぐわしさを求め、自分でじゃぶじゃぶと水につかりながら「濡れたじゃないか!」と怒るようなものだ。(『呂氏春秋』勧学1)

これは世の教師稼業にある人、みな思うことでは無かろうか。「馬を水場に連れてくることは出来ても、飲ませることは出来ない」と言われるように、教わる気のない者に何をどんなに施したところで、何の教育効果もありはしないからだ。

上掲引用文が説くのは、人としてよりよい生き方を求める点で現在にも通用することだろうが、欲の皮が張った者はくらでもいるが、そのためにはどうする、を考える者はめったに居ない。求めるならそれにふさわしい努力をしなさい、そう教える人がいなかったのだろうか。

それとも教えられても受け付けなかったのだろうか。これはどっちもどっちと言えそうで、例えば世のばか者がバカなことをしてくるのに対し、一々怒っても仕方の無いことだ。始めから聞く気が無いのだから。バカに対する最良かつ唯一の法は、ひとえに関わらないことである。

引用文が記す「往教者不化」はちょっと見ただけでは何を言っているか分からないが、要はそういうことだ。「きて教うる者はおしえず」と訓み、こちらから出掛けていって説教しても、聞く気のない相手には何を話したところで無駄である、と言っているのだ。

そんな馬鹿どもだと分かっていながら、ノコノコと教えに行く教師もまたマヌケと言うべきで、金や名誉に釣られて教師稼業をやっている自覚もなく、ただ道徳的に弟子の類を責めるのは、それはサディストに他ならない。まぎれもない精神疾患で、𠮷外の一種だ。

弟子がそういう𠮷外に対するには、やはり関わらない事しか出来ず、しかも多くの場合、逃げ場を塞がれた地獄にいる。世に教えたくて教えている優れた先生がおいでなのを直に何人か知っているが、そうでない教師は無給と言われたら、翌日から登校拒否になるに違いない。

史実の孔子はこの点明確で、「過去を綺麗さっぱり洗い落として教説に従う」ことを入門の条件とした(論語述而篇7)。「束脩」を月謝の類だと言い出したのは後世のバカたれ儒者で(→論語における束脩)、上級貴族として高禄を食んでいた孔子が、たかが金で教えたわけではない。

なお引用文に言う聖人は有能者のことで、人格者や神に近い者ではない。

https://hayaron.kyukyodo.work/syokai/eireikou/417.html

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