本日の改訂から

論語の本章は、本来なら以下の通りで済むはず。「謀」は名詞にも動詞にもなり得るからだ。

道不同、不相謀。 道同じからざらば、あいはからざれ。
志望が違っていたら、互いにはかりごとをするな。
しかし「為」が入っている。「為」を副詞に読んだ場合は、「謀」の対象や目的を示す。
道不同、不相謀。 道同じからざらば、相ためはからざれ。
志望が違っていたら、お互いのためにはかりごとをするな。

ただし、動詞に読んで「あいはかりごとをなさざれ」と訓んでも、上記逐語訳の通り意味はほとんど変わらない。孔子がわざわざ持って回った言い方をしたのか、語調を整えるためについ口から出たのか、それは分からない。

論語 為 甲骨文
(甲骨文)

ただし文字的には、「為」は象を手懐けて作業させるさまで、”する”語義が先行し、”ために”の語義が派生義となる。本章が孔子の肉声とすると、より古い「謀を為す」と訓む方に理があることになる。また「ために」と読む場合も、「為A」で「Aがために」と、後ろに目的語が来るのが普通で、この意味からも「謀を為す」と訓んだ方に理がある。

おそらくだが、下掲「謀」の金文字形が「某」であるように、論語の時代にはまだ「謀」にはごんべんも、”はかりごとをする”という動詞の機能もなく、単に”後ろぐらい企て”の意味だったのだろう。従って「謀」は名詞であり、「為」の目的語と解することが出来る。


論語の本章は、定州竹簡論語にあることからまずは前漢宣帝期には成立していたことになるが、それ以前では戦国末期の荀子や、前漢武帝期の『史記』にも引用がある。文字的にも史実を疑う要素が無く、孔子の肉声と言っていい。

君人者不可以不慎取臣,匹夫不可不慎取友。友者、所以相有也。道不同,何以相有也?均薪施火,火就燥;平地注水,水流濕。夫類之相從也,如此其著也,以友觀人,焉所疑?取友善人,不可不慎,是德之基也。《》曰:「無將大車,維塵冥冥。」言無與小人處也。

荀子
上級貴族は家来の採用を慎重にせねばならないし、素浪人でも友人はよくよく考えて選ばねばならない。友人というのは、なにがしか共通点があるから友人でいられるのだ。生き方が似通っていないのに、どうして共通点があるだろう。

火を起こしたら薪は均等に並べないと立ち消えするし、平らなところに水を注ぐから行き渡る。いわゆる類は友を呼ぶだから、似た者同士がつるんでいるとますます似通ってくる。だからどんな友人と付き合っているかを見れば、大体その人となりは分かるのだ。

人柄の善い友人を持っていると、釣り込まれて自分も真人間になる。人の道徳とは、そうやって作られるのだ。『詩経』に言う、「大きな車を引いて歩くな。体じゅう埃で真っ黒になるぞ」と。バカとは付き合うな、と言っているのだ。(『荀子』大略94)

子曰「道不同不相為謀」,亦各從其志也。
先生は「道が同じでないなら互いのためにはかりごとをするな」と言った。それぞれにはそれぞれのしたいことがある。(『史記』伯夷列伝)

世之學老子者則絀儒學,儒學亦絀老子。「道不同不相為謀」,豈謂是邪?
世間で老子を学ぶ者は儒学をバカにするし、儒学を学ぶ者は老子をバカにする。「道が同じでないなら互いのためにはかりごとをするな」と言うのは、まったくこのことではないか。(『史記』老子韓非列伝)

また本章からも、論語為政篇16の「異端」を、”正統でない学問”などといったローマ教会の火あぶり的に解釈するのは間違っていると言える。

子曰、「攻乎異端、斯害也已。」

論語 孔子 楽
他人の正義に、ケチを付けるんじゃない。ろくなことにならないぞ。

https://hayaron.kyukyodo.work/syokai/eireikou/418.html

論語の本章では「爲人謀」→「ひとのためにはかり」と動詞に読んでいるが、上掲金文にごんべんが見られないように、論語の時代の「謀」は「某」から独立する前であり、動詞としての機能を獲得していない。現行書体の初出は戦国時代の陶片であり、ここから本章が戦国時代以降に作られた言葉であることが判明する。

https://hayaron.kyukyodo.work/syokai/gakuji/004.html

論語の本章は、ひたすら自分の生きる道をずんずん進むことを弟子に教えた孔子らしい発言で、その意味で史実の孔子の肉声だと思いたいのだが、上記の検証通り、「謀」を動詞に使っていることから戦国時代以降の作文と断じる。少なくとも、言葉に手を加えられている。

孔子は、他人を気にかけることを強く弟子に戒めた。

  • 他人の正義に、ケチを付けるんじゃない。ろくなことにならないぞ。(論語為政篇16)
  • 進む道が同じでないなら、互いにはかりごとをするな。(論語衛霊公篇40)

いずれも史実と思われる孔子の発言であり、これは庶民から貴族=君子に成り上がる途上で習練中の、孔子塾生にも当てはまっただろうし、卒業後に孔子の手足として、各国政界に乗り込んでいった弟子たちにも当てはまるだろう。

なお論語の本章に注釈を付けた新古の儒者は、もちろん本章を史実だと疑っていない。ただし特徴として、特筆すべきほど短い。

古注『論語義疏』

子曰不在其位不謀其政也註孔安國曰欲各專一於其職也

孔安国
本文「子曰不在其位不謀其政也」。
注釈。孔安国「それぞれがそれぞれの職に集中することを求めたのである。」

新注も素っ気ない。朱子は何一つ言っていない。

新注『論語集注』

程子曰:「不在其位,則不任其事也,若君大夫問而告者則有矣。」

論語 程伊川
程頤「その地位にいないなら、とりもなおさずその仕事を任せられはしない。もし主君や重役が何か相談したなら、それなら意見を言うことが許される。」

なお康煕帝の政治ショーで、清帝国公認の無欲な大学者に祭り上げられた焦袁熹は、皇帝のショーにウマを合わせて、論語の本章にこと寄せてこんな事を書いている。

孔子對哀公只云舉直錯枉不説某某當舉某某當錯三桓當如何對景公只云君君臣臣父父子子不説陳氏當如何公子陽生等當如何此不在其位不謀其政之義

論語 清儒
孔子は主君の哀公に対し、「まじめ人間を悪党の長に据えなされ」と説いた(論語為政篇19)。だが具体的に、誰それがまじめ、誰それが悪党だとは言わなかった。三桓=魯国門閥三家老家が悪党であるのは明白だったのに。

また隣国・斉の景公に、「主君は主君らしく、臣下は臣下らしく、父は父らしく、子は子らしく」と説いたが(論語顔淵篇11)、誰の目にも斉国を乗っ取ろうとしているのが明らかだった、陳(=田)一族のことは何も言わなかったし、国公の位を狙っていた公子陽生についても黙っていた。

それはなぜかと言えば、孔子は哀公でも景公でもないから、他人の仕事に口を出さないつもりだったからだ。(『此木軒四書説』巻四)

https://hayaron.kyukyodo.work/syokai/taihaku/198.html

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