本日の改訂から

中人

論語の本章では”(学習が)中程度の人”。下掲別伝では、”普通の人”の意味で使われているが、本章は孔子塾における弟子へのお説教であり、ゆえに学習の程度が中ぐらい、と解すべき。

孔子曰:「中人之情也,有餘則侈,不足則儉,無禁則淫,無度則逸,從欲則敗。」

是故鞭扑之子,不從父之教;刑戮之民,不從君之令。此言疾之難忍,急之難行也。故君子不急斷,不急制。使飲食有量,衣食有節,宮室有度,畜積有數,車器有限,所以防亂之原也。夫度量不可不明,是中人所由之令。

論語 孔子 遠い目
普通の人というのは、少しでも余裕が出来ると贅沢し、少しでも余裕が無くなるとケチケチし、”これはダメだ”とお説教しないとつまらんことにふけり、時間割を決めてやらないとサボり始め、したいようにさせてやると失敗ばかりやらかす。

だがサド親父にバシバシ殴られた育った子は、結局父のいうことなど聞きはしないし、むやみに残酷な刑罰にさらされた民は、君主の命令には従わない。だからまともな貴族は、せっかちに目下を悪だと叱らず、せっかちに人を縛る法を定めない。

それよりも、食べ過ぎ、衣食の贅沢、しつらえの華美、蓄財のし過ぎ、車や家具の凝りすぎを戒める。それが世の乱れを防ぐ法だからだ。こうした制限ははっきりと公表するがよい。そうでないと、普通の人はどうして良いか迷ってしまう。(『孔子家語』六本18)

これは、「だから世間の連中はダメなんだ」と言ったわけではなく、「人にはきちんと教育を授ける必要がある」と言っている。いろいろな意味で強者だった孔子は、悪口を言いふらしてうっぷんを晴らす必要が無かったからである。


現伝儒教はしつこく親孝行を説くが、それが後世のでっち上げであることは論語学而篇で説いたとおり。そして上掲文中にある「サド親父の言うことなど聞かれない」という当たり前の事実について、他ならぬ『孝経』を書いたことになっている曽子の親父を題にした伝説がある。

論語 曽子 ウスノロ 曽点
曽子が瓜畑の世話をしている最中、うっかりつるを切ってしまった。芋づる式に瓜がダメになったと知って曽点が真っ赤になって怒り、クワを振り上げて曽子の背中を執拗にぶちのめした。その場に倒れた曽子はしばらく気を失ったままだったが、やがて息を吹き返すと嬉しそうに立ち上がり、家に飛んで帰って曽点に言った…。(『孔子家語』六本10)

このあと曽子はウスノロらしい無い知恵を絞って偽善の限りを尽くすのだが、それを見抜いた孔子は「あ奴をワシの部屋に入れるな!」とまで激怒した。詳細は論語先進篇25の付記を参照。

https://hayaron.kyukyodo.work/syokai/youya/138.html

曽点について儒者ですらも、必ずしも「孔子先生の高弟・曽子先生のお父上」として敬っていたわけではない。それどころかとんでもないサド親父だとまで言われている。

曾子耘瓜,誤斬其根。曾晢怒,建大杖以擊其背,曾子仆地而不知人久之。有頃乃蘇,欣然而起,進於曾晢曰:「嚮也參得罪於大人,大人用力教參,得無疾乎?」退而就房,援琴而歌,欲令曾晳而聞之,知其體康也。孔子聞之而怒,告門弟子曰:「參來,勿內。」曾參自以為無罪,使人請於孔子。子曰:「汝不聞乎?昔瞽瞍有子曰舜,舜之事瞽瞍,欲使之,未嘗不在於側;索而殺之,未嘗可得。小棰則待過,大杖則逃走,故瞽瞍不犯不父之罪,而舜不失烝烝之孝。今參事父,委身以待暴怒,殪而不避,既身死而陷父於不義,其不孝孰大焉!汝非天子之民也,殺天子之民,其罪奚若?」曾參聞之,曰:「參罪大矣!」遂造孔子而謝過。

論語 曽子 ウスノロ 曽点
曽子が瓜畑の世話をしている最中、うっかりつるを切ってしまった。芋づる式に瓜がダメになったと知って曽点が真っ赤になって怒り、杖を振り上げて曽子の背中を執拗にぶちのめした。その場に倒れた曽子はしばらく気を失ったままだったが、やがて息を吹き返すと嬉しそうに立ち上がり、家に飛んで帰って曽点に言った。

「先ほどは大変申し訳ないことを致しました。杖を振るって戒めを下されましたが、おけがはございませんでしたか?」そのまま自室に引き籠もって、チンチャカ琴をかき鳴らしてわあわあと歌った。曽点に歌を聴かせて、大したことない、と思わせるためである。

論語 孔子 説教 論語 曽子 ウスノロ
それを伝え聞いた孔子は、真っ赤になって怒った。「あの馬鹿者めが! 皆の者! 曽子めがやって来ても、ワシの部屋に入れるな!」自分は全然悪くない、むしろ立派なことをしたと思っている曽子が、弟子仲間に無理を言って取り次いで貰うと、孔子は説教を始めた。

舜
「あのな、いにしえの舜王の親父はろくでなしだったが、即位前の舜王は、親父が用を言い付けると言うことを聞いたが、親父が自分を殺そうとしたときは姿を隠した。親父が小杖を振り回している間はくたびれるまで待ち、大杖を振り回し始めたら飛んで逃げた。おかげで親父も虐待の犯罪者にならずに済み、舜王も孝行者だという評判を保った。

そこへ行くとお前は何だ。父親の発狂をただぼんやりと待ち、殴られるに任せた。もし死にでもしたら、父親を殺人犯にするところだったんだぞ。親不孝も甚だしい。それにお前だって、天子様の民ではないか。天子様の民を殺した罪とは、そう軽いものではないぞ。」

曽子はしょぼくれて「済みませんでした」とあやまった。(『孔子家語』六本10)

孟子
舜を創作したのは孔子より一世紀後の孟子であり、孔子が舜を説くはずもないが、曽点が舜の親父なみのクズだったことは、戦国時代以降の儒者にも常識になっていたのだ。

https://hayaron.kyukyodo.work/syokai/sensin/278a.html

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