本日の改訂から

上記の検証通り、文字史的には論語の本章は後世の創作とすべきで、いちいち年代を追うのは間抜けかも知れない。最後に文献上の「顓臾」の初出である『左伝』の記述を掲げる。

任,宿,須句,顓臾,風姓也,實司大皞與有濟之祀,以服事諸夏,邾人滅須句,須句子來奔,因成風也,成風為之言於公曰,崇明祀,保小寡,周禮也,蠻夷猾夏,周禍也,若封須句,是崇皞濟而脩祀紓禍也。

論語 左丘明
僖公二十一年(BC639)。任、宿、須句、顓臾の諸国は、その君主が風姓である。実際に東方の神である大皞と、済水に宿るもろもろの精霊の祭祀を続けてきた。その事を理由に、中原諸侯国の属国となっていたが、邾国が須句を滅ぼしたので、その君主が魯国に亡命してきた。成風を頼ったのである。

成風は須句のために僖公に言った。「由緒正しい祭祀を尊び、小さな国を守るのは、周の伝統です。蛮族が中華をかき乱すのは。周にとっての災いです。もし須句に領地を与えてやるなら、それは大皞と済水の祭祀を尊び、災いを和らげることになります。」(『春秋左氏伝』僖公二十一年)

成風は岩波文庫版『春秋左氏伝』では、僖公の生母とされているが、その根拠が分からない。おそらく儒者が一杯機嫌で書いたホラを、真に受けただけと思われる。また翌年の伝に、「二十二年,春,伐邾,取須句,反其君焉,禮也。」とあり、僖公は兵を出して須句の旧領を取り返してやった事が分かる。だがしかし。

顓臾がどうこう、という記述はこれ以外には『左伝』にない。その実在は極めて怪しいと見るべきだろう。

https://hayaron.kyukyodo.work/syokai/kisi/421a.html

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