本日の改訂から(2)

ニセ論語指導士養成講座 論語教育不救機構

さて「斯道」のような、もったい付けをする連中について少しつけ加えておく。少し漢文が読めるようになると、お経には下らないことしか書いてないと分かって、坊主を呼ぶ気が失せる。しかもお経のほとんどは、砂漠か中国あたりの坊主どもが、仏説をかたったニセモノだ。

偉そうにすることで世間から金を取る連中はこの類で、夏目漱石の『三四郎』で小ばかにされている「広田先生」のたぐいだ。

「先生は東京がきたないとか、日本人が醜いとか言うが、洋行でもしたことがあるのか」

「なにするもんか。ああいう人なんだ。万事頭のほうが事実より発達しているんだからああなるんだね。その代り西洋は写真で研究している。パリの凱旋門がいせんもんだの、ロンドンの議事堂だの、たくさん持っている。あの写真で日本を律するんだからたまらない。きたないわけさ。それで自分の住んでる所は、いくらきたなくっても存外平気だから不思議だ」
「三等汽車へ乗っておったぞ」

「きたないきたないって不平を言やしないか」

「いやべつに不平も言わなかった」

「しかし先生は哲学者だね」

「学校で哲学でも教えているのか」

「いや学校じゃ英語だけしか受け持っていないがね、あの人間が、おのずから哲学にできあがっているからおもしろい」

「著述でもあるのか」

「何もない。時々論文を書く事はあるが、ちっとも反響がない。あれじゃだめだ。まるで世間が知らないんだからしようがない。先生、ぼくの事を丸行燈まるあんどんだと言ったが、夫子ふうし自身は偉大な暗闇だ」

「どうかして、世の中へ出たらよさそうなものだな」

「出たらよさそうなものだって、――先生、自分じゃなんにもやらない人だからね。第一ぼくがいなけりゃ三度の飯さえ食えない人なんだ」

三四郎はまさかといわぬばかりに笑い出した。

うそじゃない。気の毒なほどなんにもやらないんでね。なんでも、ぼくが下女に命じて、先生の気にいるように始末をつけるんだが――そんな瑣末さまつな事はとにかく、これから大いに活動して、先生を一つ大学教授にしてやろうと思う」

その先生が、英語をさも高級な人間の話し言葉のようにもったいを付けている箇所がある。

「その脚本のなかに有名な句がある。Pity’sピチーズ akinアキン toツー loveラッブ という句だが……」それだけでまた哲学の煙をさかんに吹き出した。…

「少しむりですがね、こういうなどうでしょう。かあいそうだたほれたってことよ」

「いかん、いかん、下劣の極だ」と先生がたちまち苦い顔をした。

西洋に及ぼうと背伸びをして、大ポンニチ帝国を自称した日本だが、そのコインの裏側は、このような劣等感に他ならない。先生は旧制高校の英語教師だが、自分で訳せないから三四郎にこう言われた。つまりは教師のくせに英語がよく分かっていなかったのだ。

「斯道」を振り回す馬鹿どもも同様で、漢文が読める者はただの一人も居ない。誰かが読んだ漢籍の訳文を暗記しているだけで、知らない漢文を前にすると青菜に塩となるか、ハッタリで誤魔化すかのどちらかだ。そんな奴らのデタラメを、真に受けるのはもうやめよう。

https://hayaron.kyukyodo.work/syokai/youya/134.html



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