本日の改訂から

ただし顓臾の存在そのものが怪しく、本章が前漢の儒者、おそらくは董仲舒による創作なのはほぼ確実。董仲舒とは、希代の暴君だった武帝に仕え、いわゆる儒教の国教化を進めた儒者だが、論語時代を記した史書『春秋』に詳しいというのが売りだった。

前漢武帝
その董仲舒は、なぜ本章を偽作したか? 武帝による無軌道な外征に反対したかったのだ。

是後,外事四夷,內興功利,役費並興,而民去本。

(漢初からの節約が功を奏して、財政が豊かになったのを受け、武帝時代になると贅沢が流行った。)それより後、四方の外敵との戦争が始まり、国内では利権争いが激しくなって、臨時課税が次々に徴収され、民は住所から逃げ散った。

董仲舒說上曰:「春秋它穀不書,至於麥禾不成則書之,以此見聖人於五穀最重麥與禾也。今關中俗不好種麥,是歲失春秋之所重,而損生民之具也。願陛下幸詔大司農,使關中民益種宿麥,令毋後時。」

董仲舒が意見書を武帝に奉った。「『春秋』には、作物の作柄は基本的に記しません。ただし麦と稲の不作だけは、重大事として記しました。これはつまり、聖人が五穀の中で麦と稲を重視したからに他なりません。ところが今や、帝都長安の周辺では農民が麦を植えたがりません。これは年単位で考えれば『春秋』の記述に背き、民百姓の生きる糧を損なっております。陛下におかれてはよろしく農務大臣に命令を下され、帝都周辺の民百姓が麦の作付けを増やすよう促し、あとあとの心配が無いようになさいますように。」

又言:「古者稅民不過什一,其求易共;使民不過三日,其力易足。民財內足以養老盡孝,外足以事上共稅,下足以畜妻子極愛,故民說從上。

さらに次のような意見を述べた。「昔の税というのは、民の収入から十分の一を取るに過ぎませんでした。ですからすんなりと民も払ったのです。労役を課すにも、年に三日に過ぎませんでした。ですから必要なときに民は応じたのです。民の手元に財産があったから、老人を養い孝行を尽くし、主君に仕え税を払えたのです。だから妻子を養えましたし、お上の言うことに喜んで従ったのです。

至秦則不然,用商鞅之法,改帝王之制,除井田,民得賣買,富者田連仟伯,貧者亡立錐之地。又顓川澤之利,管山林之饒,荒淫越制,踰侈以相高;邑有人君之尊,里有公侯之富,小民安得不困?

ところが秦帝国が無茶を始めました。商鞅の法を国是にして、いにしえの聖王の制度を変えてしまい、井田制を廃止して農地の売買を許可しました。その結果金持ちは広大な荘園を持ち、貧乏人には錐を立てるほどの土地も残りませんでした。その上川から得られる利益も国家が独占し、山林の収益も国有化し、取れる税はどこまでも取り尽くし、役人はぜいたくにふけりました。都で君主がわがままのし放題、地方に豪族がわがままのし放題では、庶民はどうして生活に困らないでいられましょうか。

又加月為更卒,已復為正,一歲屯戍,一歲力役,三十倍於古;田租口賦,鹽鐵之利,二十倍於古。或耕豪民之田,見稅什五。故貧民常衣牛馬之衣,而食犬彘之食。重以貪暴之吏,刑戮妄加,民愁亡聊,亡逃山林,轉為盜賊,赭衣半道,斷獄歲以千萬數。

その上毎年一ヶ月間の兵役を交替で課され、退役してやっと一人前と見なされ、その後はある年は兵役に、ある年は労役に駆り出されました。これは昔の三十倍の負担です。土地税や付加税、塩や鉄の専売による負担、これは昔の二十倍です。ですから仕方が無く豪族の小作人になったのですが、小作料として作物の半分を取られました。その結果貧民は牛や馬がかぶるようなボロをまとい、犬や豚のエサで命を繋ぎました。その上強欲な役人が税の割り増しを搾り取り、むやみに重罰が課されましたから、民は世を恨んで山林に隠れ、あるいは山賊に加わり、捕まって護送される罪人で道が埋まり、刑事裁判は年に千万ほどになったのです。

漢興,循而未改。古井田法雖難卒行,宜少近古,限民名田,以澹不足,塞并兼之路。鹽鐵皆歸於民。去奴婢,除專殺之威。薄賦斂,省繇役,以寬民力。然後可善治也。」仲舒死後,功費愈甚,天下虛耗,人復相食。武帝末年,悔征伐之事,乃封丞相為富民侯。

せっかく我が漢帝国が興ったというのに、この無道は改まっていません。いにしえの井田制を実施するのは困難ですが、少なくとも今の世に合わせて、荘園の持ちすぎは制限し、土地の無い者に農地を与え、大土地所有が出来ないようにせねばなりません。塩や鉄の専売は廃止して、利益を民に与えるべきです。奴隷は解放して一人前の農民として扱い、むやみな死刑は控えねばなりません。税を安くし、労役・兵役を減らし、民の生活に余裕が出来るよう図るべきです。それでやっと、政治がうまく回るでしょう。」

だが董仲舒が死ぬと、遠征の軍事費はますます増大し、漢の天下は不況になり、人が互いに食べ合うほどの悲惨に陥った。武帝も死の間際になって遠征の愚かさを後悔し、宰相を”民を富ます大臣”と呼び名を変えた。(『漢書』食貨志上23)

董仲舒が遠回しに、武帝の外征を批判したことが分かる。それゆえに顓臾というおとぎの国と、それにまつわるおとぎ話を創作したのだ。だがまるまるのウソだといざとなって責任を追求され、首や司馬遷のようにナニをちょん切られかねないから、何か元ネタはあったろう。

それが論語季氏篇2で紹介した、邾国の奪取話と考えて良かろう。

https://hayaron.kyukyodo.work/syokai/kisi/421d.html

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