本日の改訂から

今大道既隱…大人世及以為常。

論語 孔子 哀
今や大道は廃れきった。…地位や身分はガッチリ世襲され、それが当たり前にまかり通っている。(『孔子家語』礼運1)

文系理系合わせて学問の分野はあまたあるが、それらが明治に始まった時から、すでに世襲だったという愚劣さが、漢文業界の実態を明らかに表している。宇野や小川はこの孔子家語の言葉を、あるいは知っていたかもしれないが、道徳は他人がやるものと開き直っていたわけだ。

https://hayaron.kyukyodo.work/yakusya/kyouju-dqn.html

論語の本章について、前漢までの儒者は上掲の逐語訳・意訳の通り解していたと思えるが、後漢になって儒者の知能程度が劣悪になると、解読できない部分を勝手に書き換えた。それ以降は後漢の解釈を金科玉条のように祭り上げ、そこから来る矛盾にどうにかつじつまを付けようとして、さまざまな「典拠」を示して解釈を複雑化させた挙げ句、現代中国での解釈のような、オトツイの方角に向かうことになった。

『論語集釋』はその過程を、微に入り細に入り書き記しているが、あまりに馬鹿馬鹿しいから転記しない。よくまあこんな屁理屈を言うものだとあきれたからでもある。ただそれだけでは話が見えないと思うので、オトツイに向かうきっかけになったのが『荀子』だと記しておく。

問楛者,勿告也;告楛者,勿問也;說楛者,勿聽也。有爭氣者,勿與辯也。故必由其道至,然後接之;非其道則避之。故禮恭,而後可與言道之方;辭順,而後可與言道之理;色從而後可與言道之致。故未可與言而言,謂之傲;可與言而不言,謂之隱;不觀氣色而言,謂之瞽。故君子不傲、不隱、不瞽,謹順其身。《》曰:「匪交匪舒,天子所予。」此之謂也。

荀子
下らん質問をする奴には答えるな。下らん話をする奴には問うな。下らん説教をする奴の話は聞くな。威張りん坊とは議論するな。まっとうな手続きを経て、やっと知識は身に付くのであり、基礎が出来て、やっと応用が分かる。こうした手続きを経ていない者とは、関わってはならない。

礼法も同じで、まず腰を低くすることが身に付いて、やっとこまごまとした作法が言えるのであり、もののことわりに添ったトゲの無い言葉で語れて、やっともののことわりそのものを語れる。表情が温和になれて、やっと礼儀作法の奥義が分かる。

だからこうした手続きなしに偉そうに説教する奴を傲慢という。手続きを経て知っているのに言わない奴を、だんまりという。顔色を見ないでものを言う奴を、目が見えないという。だから君子たる者、威張らず、隠さず、目をつぶらず、物腰を丁寧にするのである。

詩にも言う。「彼の交際の仕方と物腰の柔らかさは、天子も賞賛する」と。これはこのこころを歌ったのである。(『荀子』勧学16)

後漢の儒者がいかに頭が悪いか、後漢というふざけた帝国に記したが、後漢儒は何らかの理由で論語の本章を、上掲『荀子』と同じに揃えた。理由が分からないのは当然、バカはバカなことをするのが理の当然で、バカのすることに理由を探すことほど馬鹿馬鹿しいことはない。

https://hayaron.kyukyodo.work/syokai/kisi/426.html

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