本日の改訂から

なお論語の本章について、清儒・方観旭は、『論語集釋』に引く『論語偶記』で次のように言う。

皇侃の注釈には、「老とは五十歳以上を言う」とある。これは儒教経典の「衰」の字を根拠にした説で、『礼記』曲礼篇に言う「七十歳になったら老という」のとは歳が足りない。『礼記』王制篇には「五十歳で衰が始まる」とあるが、これは衰え始めるのであって、すでに衰えたことを意味しない。

この五十歳というのは、古人が大夫の職などについて、初めて政治に関わる歳でもあった(『礼記』曲礼12内則80)から、国家がすでに衰えた人をそんな重職につけるわけがない。それに論語の本文で言うような欲ボケの人を、政治家にする理由がどこにある?

孔穎達は『礼記』に注をつけてこう言った。「六十歳というのは老境ではあるが、全くの老人というわけでもない」と。これは五十歳で老人呼ばわりすることの誤りを証している。孟子は「七十歳になったら、柔らかい絹を着、栄養のある肉を食べるべきだ」と言ったし、「老人にこそ衣や肉を与えよ」と言った。これもまた、老人と言えるのは七十歳からであることを証明している。

実に下らない。論拠としている『礼記』のたぐいが、そもそも漢儒が商売のためにでっち上げたニセモノで、ニセモノが言えばそれが「証明」としてまかり通ったわけだ。

儒者
現代日本人が「学者」と聞けば、大方は白衣を着た科学者を想像すると思いたいが、前近代中国ではこういう御託を書き連ねる連中が大儒よ学者よと尊敬された。その妄想はアヘン戦争で崩されたはずだが、現代中国も現代日本も、漢文業界は変わらぬまま今に至っている。

https://hayaron.kyukyodo.work/syokai/kisi/427.html

論語の本章は上記の検討の通り、「狎」の字が論語の時代に存在しないことから、後世の創作と断じざるを得ないのだが、「小人は天命を知らずして畏れる」とあることから、無神論者に限りなく近かった孔子の発言としてふさわしい(→孔子はなぜ偉大なのか)。

加えて「狎」の字について『大漢和辞典』は「押」字条で、「狎に通ず」と言い、「押」は甲骨文・金文・戦国文字に見えないものの、古文の字形(↓)は相当に古く、おそらく論語の時代に遡れるのではないかと想像する。ただし訳者の個人的感想に過ぎず、断言は出来ない。
押 古文

なお清儒の毛奇齢は、論語の本章にこと寄せて、『四書改錯』の中でこう言っている。

毛奇齢
天のことわりを理解してその原理を探るにあたり、『四書集注補』はまことに細かくそれを記している。だが宋の儒者はおおむね、下らないことにこだわるくせがあり、何でもかでも「理」の左様だと言い張る。その結果天のことわりのなんたるかは、オトツイの方角に行き果てている。

例えば『中庸』の「天命、これを性という」の「性」も「理」に他ならないと言い、そして「天」も「理」に他ならないという。その結果「理は理だ」と言っていることになり、何のことやらさっぱり分からない。

これで手に取れる自然界を理解しようとするが、分からない事甚だしく、手に取れない天界のことなど、分かる道理がない。なんでも「理だ理だ」と言い張る一つ覚えが、ことごとく間違っているのだ。

朱子始め、宋儒の書き物には何が書いてあるかは分かっても、何を言いたいのかさっぱり分からないことがコレデモカと書いてある。そう思うのは訳者ばかりではなく、朱子学が帝国のイデオロギーに定められた、名の通った儒者である毛奇齢も同じだったようだ。

https://hayaron.kyukyodo.work/syokai/kisi/428.html



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