本日の改訂から

「陽虎」(以下トラ)と呼ばれた人物が、なぜ「陽貨」(以下ゼニ)と論語の本章に記されたのか。この人物は前漢まではほぼ、「陽トラ」と記された。例外は『孟子』に一章『墨子』に一章、「陽ゼニ」とあるのみで、さかんに「陽ゼニ」と書かれたのは、後漢に始まる。

『孟子』は論語と同様、孟子の発言か疑わしい箇所が多数あり、『孟子』を論拠に漢語の時代特定をするには、面倒くさい手続きが要る。しかも『孟子』に「陽トラ」と記す箇所が一章あったりもする。そもそも貨幣のほのかな論語時代、貝の付く字が出たら疑った方がいい。

対して『墨子』に「陽トラ」の記載は見られない。「陽ゼニ」の記述は次の通り。

孔丘與其門弟子閒坐,曰:「夫舜見瞽叟孰然,此時天下圾乎!周公旦非其人也邪?何為舍其家室而託寓也?」孔丘所行,心術所至也。其徒屬弟子皆效孔丘。子貢、季路輔孔悝亂乎衛,陽貨亂乎齊,佛肸以中牟叛,桼雕刑殘,莫大焉。夫為弟子,後生其師,必脩其言,法其行,力不足,知弗及而後已。今孔丘之行如此,儒士則可以疑矣。

論語 墨子
孔子が弟子を集めて、こういう要らん説教をしたらしい。「聖人聖人とワシは世間に言うたが、実は全部でっち上げだ。いにしえの聖王舜は、バカ親父の顔を見る時に限り、米つきバッタのようにペコペコした。王がそんなバカに頭を下げれば、舐められて国が滅びかねなかった。周公旦も人でなしだった。家族を放置して、留守にしっぱなしのまま趣味の政治いじりに励んだ。」

こういう発言を聞くと、孔子の腹は真っ黒で、仕出かした政治いじりはその表れだ。孔子の弟子どもはみな、そろって孔子の真似をした。子貢と子路は、衛国で悪党の孔悝を焚き付けて反乱を起こさせ、陽貨は斉国で謀反を起こし、佛肸は中牟に立てこもって独立を企んだ。漆雕開は何を仕出かしたか知らないが、ともかく捕まって足切りの刑にあった。こうした孔子一党の悪行は、数え上げたら切りがない。

そもそも弟子入りとは、師匠よりあとに生まれたことを自覚して、師匠の言葉通りに努め、行い通りに真似るものだ。未熟者だし、智恵も師匠より劣っているからだ。さて孔子が腹黒と分かった以上、その弟子を名乗る今の儒者どもも、大いに疑ってかかるべきである。(『墨子』非儒篇下)

トラが孔子の弟子などでないことはもちろんだ。『史記』の記述が確かなら、若造だった孔子を季孫家の宴会場で門前払いを食わせたのはトラだし、孔子が世に出る以前、トラはすでに政戦両面で魯国で活躍していたことは、『左伝』にも複数の記述がある。

トラは孔子の弟子どころではない。少なくとも一世代は上の先駆者だった。だが孔子と生まれ変わるように春秋末から戦国の時代を生きた墨子の証言を信じるなら、孔子の弟子にトラならぬゼニがいて、斉国で騒動を起こしたという。

『左伝』の記述では、トラは魯国を逃げ出して斉に亡命はしたが、さっさと捕まって監禁され、八百屋のニラ車に潜んで抜け出し、晋国に向かったとされる。とうてい「謀反を起こした」とは言えない。ならば弟子のゼニが起こした謀反が、今伝わらないだけではいか。

そもそも、陽貨ゼニ=陽虎トラ説を言い出したのは、実在も怪しい孔安国である。

註孔安國曰陽貨陽虎也季氏家臣而専魯國之政欲見孔子使仕也

孔安国
陽貨とは陽虎のことだ。季氏の家臣で、魯国の政治を勝手に牛耳っていた。孔子に会って、自分の配下に加えようとしたのである。(『論語集解義疏』)

前漢までは誰もトラをゼニとは書かなかった。後漢になってからそう書かれるようになったが、なおトラと書く人もいた。後漢儒の知的低劣は今に始まったことではないが、おそらく馬融・鄭玄当たりがトラとゼニを混同し、ただし自分の説だと人を黙らせる自信が無かった。

だから創作した孔子の子孫である孔安国に、デタラメを語らせただけだろう。従って論語の本章ではその偉そうな態度から、「陽貨」ゼニと書かれているが実は「陽虎」トラで、孔子より社会的地位も年齢も上の者と見るべきだろう。その後の儒者はそれに気付きもしていない。

陽貨者季氏家臣亦凶惡者也所以次前者明於時凶亂非唯國臣無道至於陪臣賤亦竝凶惡故陽貨次季氏也
論語 古注 皇侃
皇侃オウガン曰く、陽貨は季孫家の家臣で、凶悪な者である。本陽貨篇が季氏篇に続けて書かれたのは、当時の凶悪な動乱を明らかに伝えるためである。その乱れたるや、魯公の直臣である季孫家以下の家老が無道だっただけでなく、バイ臣=家老の家臣であるはずの者までが、凶悪で愚劣だったほどだ。だから魯公を脅かした季氏の事を記した篇に続けて、凶悪な陽貨を取り上げて陽貨篇を記したのである。(『論語集解義疏』)

陽貨,季氏家臣,名虎。嘗囚季桓子而專國政。欲令孔子來見己,而孔子不往。貨以禮,大夫有賜於士,不得受於其家,則往拜其門。故瞰孔子之亡而歸之豚,欲令孔子來拜而見之也。


陽貨とは季孫氏の家臣で、名を虎と言った。以前、季孫氏の当主を監禁して国政を好き勝手に動かしたことがある。それで今度は孔子を自邸に参上させようとしたが、孔子は空気を読んだ上でシカトを決め込んだ。

そこで陽貨は贈り物をしたのだが、当時の礼儀として、大夫(上級貴族)が士(下級貴族)に贈り物をする場合には、士が大夫の屋敷に出向いて、門前でお辞儀して受け取る事になっていた。だが孔子のシカトがあまりにきついので、陽貨は孔子の留守を狙って、格下にもかかわらず豚を届けてやったのだが、それは自邸まで孔子に来て貰いたかったからだ。(『論語集注』)

見てきたような出任せを書いているが、とうとう勝手に「陽貨のあざ名が虎である」とまで言い出した。中国人のウソツキは今に始まったことではないし今もなお盛んだが、ウソを定着させるにもこういう年季の入り方をしていると、もう誰にも疑われない。

https://hayaron.kyukyodo.work/syokai/youka/435.html

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